《Hl.Johannes der Täufer(洗礼者聖ヨハネ)》
リーメンシュナイダー(1490頃)
この度の旅行でのはじめてのリーメンシュナイダーは、まず最初にずっと見たかった作品を見に行こうと、フランクフルトからハスフルトまで向かった。
ICEでヴュルツブルクまで行き、そこから乗り換えて少し行くとハスフルト駅に到着する。
とても小さな町で、駅を背にして立つと、屋根の低い町並みにランドマークである教会の屋根が目に飛び込んでくるというような風景だった。
詳細な地図は持っていなかったが、向かって右奥の屋根を目指して歩くと、すぐに聖キリアン教会にたどり着くことができた。
教会正面(駅から最短コースで行くと、教会の後ろ側に出る)
洗礼者ヨハネはもともと大好きな聖人の一人。「サロメ」で、首を切られてお盆に載せられ、サロメに踊られてしまう最後を迎えた人だ。
写真で見て想像していたよりも大きな像で、目線の先にはヨハネの足が見えるぐらいの高い位置に置かれている。
子羊のグルグルの巻き毛や髪と、生の人間を思わせる手足、顔などの表現とが見事にわけられており、彫刻作品としてもとてもよい作品だが、それと同時に、信仰の対象としてこのような彫刻が教会に置かれているというのに改めて驚かされた。
人気のない教会内では彫刻に触れることもでき、また温度や湿度、光の管理もされていない。
極端な言い方になるが、優れた芸術作品を後世まで「残す」のが美術館であるならば、教会は信仰のためであるならば作品が果ててもよいと考えているのだろうか。
本来の目的で、本来あるべき聖堂内に佇むこの作品は、より一層リーメンシュナイダーの制作意図を引き立てているように感じられた。
この教会にはリーメンシュナイダーによる「聖母子像」も所蔵されている。
リーメンシュナイダー(1490頃)
洗礼者ヨハネと同様に祭壇の両脇に設置されており、祈りの対象として花やろうそくが捧げられている。
ひざまづき台もあり、聖母子に向かって祈ることができるのだが、リーメンシュナイダーの作品を通して神に祈ることができるだなんて、美術館ではできない。
教会に置かれてこそ、の醍醐味を存分に味わえた気がする。
0.5ユーロでロウソクに火を灯すことができる。
後にも先にも、今回の旅行ではロウソクを捧げたのはこの教会だけだった。
この教会は無人で、ポストカード(一部はプリントされた写真)やパンフレットなどが販売されていた。
洗礼者ヨハネのポストカードを買い、親しい司祭に手紙を書いた。
作品タイトル(ドイツ語)、制作年等は「リーメンシュナイダー紀行」さんから転載させていただいています。
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