Sunday, February 22, 2009

Rothenburg * Franziskarner Kirche



聖ヤコブ教会から数分、ローテンブルク駅からは市街の門をくぐってひたすら真っ直ぐに行くと、ここフランツィスカーナー教会に到着する。
市内は人気がなく淋しかったが、この教会から湯気のようなものがあがっているのが見えたときに、何だかとてもほっとしたのが印象的だった。



開館時間前であったため裏手に回ってみた。司祭館らしく車も数台とまっていた。


聖堂内


ローテンブルク最古のこの教会は、ローテンブルクのカテドラルでもあるそうだ。
規模的には聖ヤコブ教会の方が大きく立派なのだが、素朴で清潔感のある暖かみのある聖堂はとても居心地のよいものだった。

ちょうど司祭が講話を行うところだったが、何せドイツ語がわからないためお話を聞くことはできなかった。



聖堂奥のチャペルには、リーメンシュナイダーの聖フランシスコ祭壇が祀られている。


《Franziskusaltar(聖フランシスコ祭壇)》
リーメンシュナイダー(1490年頃)

左が聖フランシスコ。
聖フランシスコは大好きな聖人の一人であったため、今回の旅行ではこの祭壇を見ることも大きな目的であった。とにかく寒い中、移動も多く疲れ気味ではあったが、ここでこうして祭壇を見ることができて本当に感動。

カトリック教会には「諸聖人の連願」という、その名の通り諸々の聖人の名前を「洗礼者聖ヨハネ~♪」「聖フランシスコとドミニコ~♪」などと諸々の聖人の名前をツラツラと唱える祈り(歌)があるのだが、この祈りを頭の中で思い浮かべながら祭壇前で祈っていると司祭が現れ、少しの間祭壇前のロープをはずしてくださり、近くで見させていただくことができた(ロープがあってもかなり近くまで寄れるのだが)。


聖フランシスコ


両手両足・脇腹には、生前に聖痕が現れたというフランシスコのしるしを見ることができる。


Bruder Leo



祭壇前

この祭壇の前で挙げられるミサにぜひ与ってみたいと思った。

作品タイトル(ドイツ語)、制作年等は「リーメンシュナイダー紀行」さんから転載させていただいています。

Rothenburg * St.Jakob Kirche



市庁舎、観光案内所、教会・・・ とどれも古い建物で趣きがあるため、どこが教会なのだかがよくわからない。
グルグル回ってみてランドマークを頭に入れたところで、ここ聖ヤコブ教会にたどり着いた。



聖堂は工事中であったが、祭壇後方にグルッと丸く組まれた足場は日本ではなかなか見られない。日本と諸外国との建築物の違いは、工事の技術にも影響するのだと実感させられた。



何となく聖堂入り口に行ってみると、張り紙が貼られていた。知っている単語を拾って解釈するところによると、「本日の開館は14時30分までです」と読めた。
14時からの開館まで時間をつぶそうとフラフラしていたのだが、試しに重い木戸を押してみると扉が開き、運良く聖堂内に入ることができた。入場料1ユーロ。


《Heiligblut-Altar(聖血の祭壇)》
リーメンシュナイダー(1501~1505頃)

聖ヤコブ教会では、高さ9メートルにも及ぶあまりに有名な「聖血の祭壇」が祀られている。
聖堂後方の階段を上った2階、パイプオルガンの背後に設けられたスペースに祭壇が設置されている。


祭壇中央部分


最後の晩餐の場面で、イエスがユダの裏切りを預言する場面である。中央部分のイエスに向かう人物がイスカリオテのユダであり、手には銀貨を入れた袋を持っている。典礼上では聖なる過ぎ越しの三日間の聖木曜日(主の晩餐)にあたる。

面白いのが、このユダの姿が隠れるような仕掛けがあり、ユダが消えると背後のヨハネ(イエスに横たわっている人物)が見えるようになるという。
実際に目にすることはできなかったが、下の写真が飾られていた。


ユダが消えます


中央左翼


左翼はイエスのエルサレム入城の場面。衣服を地面に敷き、しゅろの枝を持ってロバにまたがったイエスを迎えるという場面である。典礼上では枝の主日(受難の主日)とされている(2009年の場合は4月5日)。


中央右翼


右翼はゲッセマネ(オリーブ山)の祈りの場面である。最後の晩餐の後、オリーブ山でイエスが血の汗を流して祈りを捧げた場所であり、同行した使徒はイエスの苦悩をよそに眠りこけているという場面だ。
この後、ユダに接吻された人物がイエスであるというしるしを機に、イエス・キリストは捕らえられることになる。典礼上では聖なる過ぎ越しの三日間の聖木曜日(主の晩餐)にあたる。


祭壇下部のろうそくを持つ天使(左)



祭壇下部のイエスの磔刑(中央)



祭壇下部のろうそくを持つ天使(右)


聖血の祭壇、と呼ばれる所以は、祭壇上の十字架の中心部分にはめられた丸い部分に、聖遺物であるイエス・キリストの血が収められていることによるらしい(すみません、写真アップし忘れ)。
この聖血がどのようなものなのか、詳しく知りたいと思った。






祭壇前の聖書


祭壇の前には聖書が置かれている。
何度も書いているが、単なる美術品としてではなく、ここでミサや祈りが捧げられることに大きな意味があるように思える。
特に聖週間には訪れて祈りを捧げてみたいと思った。




《Hl.Louis von Toulous (聖ルイス・フォン・トゥールーズ)》
リーメンシュナイダー(1494頃)

1985年に祭壇が再構築され、2001年よりこの場所に設置されているのだそう。




《Marienaltar (マリア祭壇)》
リーメンシュナイダーシューレ(1520頃)

1863年に他の教会(シュピタール教会?)から移動されたらしい。
この祭壇を見ている間、頭の中を「マニフィカート」(マリアの賛歌)が流れていた。


祭壇中央部分

中央は聖霊降臨、左右にはマリアとエリザベト(洗礼者ヨハネの母)。



クレクリンゲンのヘルゴット教会にある聖母被昇天の祭壇が見たい・・・


聖堂の主祭壇





作品タイトル(ドイツ語)、制作年等は「リーメンシュナイダー紀行」さんから転載させていただいています。

From Frankfurt to Rothenburg ob der Tauber



フランクフルト→シュタイナッハ→ローテンブルク
昨日断念したローテンブルクですが、やはりどうしても行っておかないと!と思い、ニュルンベルク行きを見送り、本日はローテンブルクに。



雪・雨・冷たい風の中、傘もささずに旧市街へと向かったが、日曜日のためにローテンブルクのお店はほとんど閉店。観光客はパラパラといるものの、8割方日本人だった。



いかにもドイツ、という町並みを歩き、市内の中心部へ。
ローテンブルクは、城壁で囲まれた古き良き雰囲気に包まれた小さな町だ。

冬期、観光地(教会など)は10時~12時、14時~16時と開館時間が短い。効率よく回るために、偵察もかねて昼時に市内を一周してみた。



こんな風に馬車が走っていたりして。馬、寒そう。



隣町へと続く町外れのクリンゲン横には聖ヴォルフガング教会がある。
ここにはシューレ(工房?)作のWolfgangsaltar(ヴォルフガング祭壇)が収められているが、残念ながら冬期は閉まっているようだ。

Saturday, February 21, 2009

Würzburg * Mainfränkisches Museum



気持ちを切り替えてヴュルツブルクに戻り、今回の旅行ではニュルンベルクを諦めて、ローテンブルクへは明日行くことにした。

駅からタクシーでマインフランケン美術館へ向かったが、館内に入るなり、引き返してよかった!と思った。
ここには70点以上のリーメンシュナイダー関連の作品が収蔵されており、いわば宝庫。
それだけに、マインフランケン美術館が閉館だの開館だの・・・ という情報に振り回されてぐったりしていたのだが、数々の貴重な作品を見ることができた。
(余談ですが、日本から持ってきたガイドブックには地図もろくに載っていなかったので、捨ててしまいました 笑)

ここでは印象的なものを紹介。

《Leuchterengel》
リーメンシュナイダー(1505頃)

燭台を持つ天使の一部。

《Hl.Stephanus(聖ステファノ)》
リーメンシュナイダー(1515~1520頃)

キリスト教の最初の殉教者・聖ステファノ。助祭であったステファノは石打ちの刑にあって殺されが、そのことを示す「石」を持っている。
ステファノの拷問の様子は、後に回心して初代教皇となるパウロ(当時はサウロ)も見物していたという。

虫食いの跡

日本の仏像には樟(クスノキ)などの香木が用いられているために虫に食われることはないが、リーメンシュナイダーはじめこの頃の彫刻には菩提樹が使用されていたために、多くの虫食い跡が見られる(苦手なのでちょっと怖い)。
もったいないと思う反面、マルティン・フォン・ワーグナー博物館のマリアの涙のように見える亀裂は効果でもあるように感じるし、時間の経過による変化も作品の一部なのだということを感じさせられる。

《Hl.Bischof(聖司教)》
リーメンシュナイダー(1505~1510頃)

ミトラの表現がやわらかくて美しいと思った作品。

《Kruzifix》

《Doppelmadonna》
リーメンシュナイダー(1515~1520頃)

背中合わせの表裏一体の聖母子。1824年に取り壊された、聖バーバラ・カルメン教会(ヴュルツブルク)にあった作品だそうだ。

継ぎ目


上《Wappenstein des Pankraz von Redwitz》
リーメンシュナイダー工房(1498)
「ヴュルツブルクの旧Tannenberg大聖堂の参事の家のワッペン(現Paradeplatz 2)」だそうだ。

下《Tisch》
リーメンシュナイダー(1506)
「ヴュルツブルクの市庁舎にあったもので、Gabriel vom Evaがフランケンワインのお返しに市議会に送ったSolnhofenの石版を、リーメンシュナイダーが細工した作品」だそうだ。


《Die Vierzehn Northlfer》
ヨーク・リーメンシュナイダー?(1530頃)

諸聖人が掘られたレリーフ。聖キリアンが斬首されたミトラをかぶった自分の首を持っているなど、よく見ると興味深い。

《Lüsterweibchen》
リーメンシュナイダー(1515頃)

「ヴュルツブルク近郊のOchsenfurtの市庁舎にあったもの。Ochsenfurtの市庁舎は15世紀末に建てられている。中央のワッペンはOchsenfurtのもの。女性の上半身で装飾されたシャンデリアは当時はポピュラーだった」のだそうだ。

《Hl.Sebastian(聖セバスチャン)》
リーメンシュナイダー(1515頃)

特別に好みというわけではないのだが、とにかく手の表現が素晴らしい作品。


《Trauernde Maria(悲しみのマリア)》
リーメンシュナイダー(1505頃)

元はオクセンフルト近郊のアホルスハウゼン(Acholshausen)という町にあったのだそうだ。
想像していたよりもずっと大きいので驚かされたが、重さや大きさを感じさせず、宙に浮くように佇む静かで軽い作品である。透明感がありとにかく美しい作品で心を奪われた。




《Hl.Nikolaus(聖ニコラス)》
リーメンシュナイダー(1510頃)

「元はEhehaltenhausの礼拝堂にあったもの。その後他の博物館に保存されていたが大戦で焼失したと考えられていた。だがある男がこの像を発見し、1950年に博物館に戻された」のだそうだ。


《Adam(アダム)》
リーメンシュナイダー(1492~1493)

ヴュルツブルク市議会から制作を依頼されたもの。マリエンカペレの外周にあるアダムのオリジナル。台座もこの博物館に収められている。

《Eva(エヴァ)》
リーメンシュナイダー(1492~1493)

ヴュルツブルク市議会から制作を依頼されたもの。マリエンカペレの外周にあるアダムのオリジナル。台座もこの博物館に収められている。

《Hl.Barbara(聖バーバラ/バルバラ》
リーメンシュナイダー(1510頃)

「ヴュルツブルクのEhehaltenhausの礼拝堂にあったもの」だそう。
小ぶりながらしっかりとした作品で、完成度も高く存在感がある。



《Kruzifix(磔刑)》
リーメンシュナイダー(1515~1520頃)

ヴュルツブルクのビュルガーシュピタールにあった十字架。

《Grabstein für Tilman Riemenschneider(ティルマン・リーメンシュナイダー墓碑》
ヨーク・リーメンシュナイダー(1531)

ドームの工事中に再発見された墓碑。息子のヨークが作成したというのが印象的。

作品タイトル(ドイツ語)、制作年等は「リーメンシュナイダー紀行」さんから転載させていただいています。