Wednesday, December 31, 2008

Seoul * Jeoldusan Martyrs' Shrine


Korean 103 Saints (103 martyrs)



「韓国に行ったらぜひここへ!」と勧められていた切頭山殉教聖地に行った。
ガイドブックには載っておらず、事前に借りていたパンフレットにある住所や地図をタクシーの運転手に見せて到着したが、「入り口がよくわからない」とのことで、こんなところ↓で降ろされてしまった。


麻浦(マポ)地区の合井洞というところにあるが、漢江に面しているだけあって異常に寒い。
殉教者の処刑が行われたのは漢江の川縁だが、寒さを感じる度に殉教者の思いがどのようだったのかと考えさせられた。
漢江では毎年殉教者のためのミサが執り行われているが、殉教聖地でのミサには多数の司祭や信徒が参加しているようだ。この地でミサが挙げられることには、当然だと言われるのかもしれないが大きな意味があると改めて感じさせられた。


よくわからないまま入り口を探してトボトボと歩き、到着した。


ルルド(風)のマリアに迎えられ境内に入ると広い公園のようになっており、ところどころに御像や拷問に使われた石などが置いてあった。
また、日本で殉教したジュリアおたあ(徳川家康の側妻。残念ながらこの度日本で執り行われた188福者には挙げられなかったがその名は文献の端々に見られ、11月に列福された江戸の殉教者・ヨハネ原主水にも影響を与えている)の墓の一部も祀られている。




前教皇ヨハネ・パウロ2世像
1984年のヨハネ・パウロ2世の訪韓では、真っ先にこの殉教聖地を訪れたのだそうだ。



拷問に使われた石


韓国での迫害は1839年己亥迫害および1845年丙午迫害の後、1860年(庚申)に一時的な迫害があったが一端静まりを見せた。そしてこの後の1866年丙寅大迫害では6年間に亘って迫害が続けられたのだという。
殉教と背教とは表裏一体の関係があるが、日本と同じく韓国でも、聖職者や一般信徒の葛藤が繰り広げられるという悲しい時代であったようだ。


日本の殉教に関する文献や遺物などがどの程度保存されているのかはわからないのだが、この度の殉教記念館では当時の神学校の教育で使用されていた書物(表紙に日本語が書いてあるものもあった)や、殉教者の遺物など様々な物が所蔵されていた。









ここでは毎日2度ミサが執り行われている。
寒く人里離れた場所に人が集まるのだろうかと、数名程度のミサを想像していたが、聖堂内は満杯。所属教会の土曜ミサよりも人が多いかもしれない。

聖堂入り口の聖水は、寒さのために凍っていた。







到着したときにまず感じたことは「どうやって帰ろう・・・」。
真横は漢江とハイウェイ。タクシーなんて捕まえられる状況ではなかったため帰路が不安だったのだが、ミサを終えて境内を一周したところで同じように思った。

ミサの参列者が多数だったため駐車場にもたくさんの車が並んでいたが、「徒歩で来ている人もいるはず」、「最悪の場合は誰かにお願いしてタクシーを呼んでもらおう」と(韓国語はできないし、英語もほとんど通じないので)開きなおって町っぽく賑やかそうな方向を目指して歩くことに。
極寒の空の下を凍死覚悟で歩くこと約20分、勘が当たって迷うことなく合井駅までたどり着いた(でも、駅から殉教地までは歩けないと思う)。

地下鉄の切符を買おうとしたところでトラブルが発生し、駅構内の自動販売機が全て停止。事故か何かがあったようで電車にも乗れそうになかったために、再びマイナス10度の地上に出て、何とかタクシーを拾った。
その足でソウル市内の巨大書店・教保文庫へ行き(日本のような書店はなく、市内の大型書店へわざわざ出向く必要があるのだそうだ)韓国の教会史の本を探したが、英語・日本語では出版されていないようだった。

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