11月24日に行われた「ペトロ岐部と187殉教者列福式」開催にあたり、この日を前にカトリック関係者の間ではこの話題で持ちきりであったが、数人の司祭から、遠藤周作氏の著した『銃と十字架』という書物について聞いていた。
以前読んだ本にも、この『銃と十字架』は遠藤文学の真骨頂であるとも書かれており、特に今回の列福式では、この本に書かれたペトロ岐部神父が福者に祀られたこともあり、キリシタン史の話題の片隅にはいつもこの書籍が挙げられていた。
そして必ず、こう付け加えられていた。
「この本はとても良い本なのだが、絶版になっており今は全集の中でしか見られない」「図書館に行かないと目にすることができない」と。
私が中学・高校時代から好きだった作家の一人が遠藤周作である。
大半の作品を読んでいたのだが、全てを網羅していたわけではなかった。大半に入らなかったもの-それは江戸時代のキリシタン迫害について書かれた作品であって、何となくとっつきにくいという理由から、『沈黙』を除いた作品を意識的に避けていたような気がする。
個人的な会話の中でも多くの司祭から勧められたこともあり、今になって『銃と十字架』を読みたくて仕方がなかった。
しかし、古書店でもなかなか入手できず、見つかっても非常に高価。文庫本(中公文庫)でも3,000円。いっそのこと「銃と十字架」が含まれている全集の一冊を買ってしまおうか、それとも古書を探して入手しようかと迷っていた。
書店に並べられた文庫の背表紙には見覚えがあり、どうして買わなかったのか、どこで見たのだろうか、とあれこれ考えたが、私の部屋に並んだ文庫の中には、やはり見つけられなかった。
つい昨日もこの話を母にしたところであった。
さて、以前より大々的に部屋の片付けをしたいと思っていたが、ふと思い立って、手始めに書棚を片付けることにした。山積みになった書籍が収まりきらないため、不要な本はこの際思い切って処分してしまおうと考えており、まとまった単位の書籍のうち、程度の良いものはオークションに出品したりした。
同じ系統の書籍があるかどうか、書籍の山をかき分けながら書棚の前に立ち、スライド式の本棚を左右にひきながら、3層になった書棚の最後列を開くと、母から譲り受けた懐かしい古書が現れた。
「ここの棚は手をつけられないけれど、せめて整理して並べ替えよう」と考えているうちに、太い黒文字で書かれた、遠藤周作の『死海のほとり』に目が止まった。「これも恐らくキリスト教関連の内容だろう」と思い、開ききっていないスライドの前層を引いて閉めようとすると、死角になっていた片隅に、『銃と十字架』と書かれた単行本が身を潜めるように立っていた。
すぐさま手に取って母のもとにかけより、興奮しながらこの本のことを告げた。
恐らく今日、書棚の整理を思い立たなければ、しばらくの間は見つけることができなかったのではないかと思う。
背には白地に茶色の文字でタイトルが書かれていたが、他の書籍と比較するとコントラストが弱く、目立たずひっそりと書棚の端に入れられていただけに、偶然見つけた喜びは大きかった。
筺を覆うパラフィン紙をはずすと、新しい書籍のようなクリームがかった上品な肌が現れ、状態も非常に良かった。
昭和54年発行の初版で、版元は中央公論社。当時は880円で売られていた。
表紙には、ペトロ岐部が日本人信徒としてはじめて訪れたというエルサレムの町の挿絵が描かれている。
探し求めていた本を手にする時は、何とも言えない喜びと期待がある。
今晩からさっそく読み始めたいと思う。
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