Monday, December 1, 2008

Fr.M

ある宣教会の一人の司祭が帰天されたとの知らせがあった。
お目にかかったことはないのだが、優しそうな表情の写真を見たり、経歴を知ることから、一方的に親しみを覚えていた方である。

以前、こんな話を聞いた。
病を患ったM神父が医者の診察を拒否すると言って、困り果てたシスターが電話をかけてきたのだそうだ。電話を受けた方は、医者に診てもらうようにと説得の電話をかけなおしたが、本人は話したがらず、電話を切ってしまうのだという。
高齢のM神父は、医者の診断の結果によって入院や安静を強いられ、宣教の現場から身を引かなくてはならないことを知っていたのである。

「まだ迷惑をかけていませんから、大丈夫です。でも、迷惑がかかるようになったら(病気のために司祭職を勤められなくなるようになってしまったら)、私は入院させるか、母国に帰すか、決めなくてはなりません。彼の(宣教の場から離れたくないという)気持ちはよくわかります。だから、とてもかわいそうです。私も辛いです。」
電話をかけた、宣教会の管区長の言葉である。

晩年のM神父は、病院のチャプレンとして宣教を続けてきた。病人の見舞い患者との対話には、いつも心が尽くされていたのだそうだ。
亡くなったのはこの病院のホスピスだと言う。病室の中だとは言え、彼の宣教の場で最期の時間を過ごすことができたことは幸せだったのではないかと思う。

この宣教会の派遣の祈りを思い出した。
50年以上も前に日本の地を踏みしめて以来、宣教に命をかけていたM神父のために、私も祈りを捧げたいと思う。

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