Tuesday, December 23, 2008

パネットーネとプレゼピオ



明日の早朝からいよいよ旅行に出発。
その前に、年内最後の仕事(というと聞こえは悪いが、私にとっては楽しい作業)の打ち合わせがあった。

久しぶりにお目にかかるお相手の元へ向かい、いつも私が座るソファにたどり着くと、クリスマスのプレゼント――イタリアのクリスマス・ケーキ “パネットーネ”――が入った大きな箱が用意されていた。
何度か食べたことはあったのだがいつもパーティー会場などだったため、じっくり味わうこともなかったパネットーネ。イタリアの伝統的なお菓子を存分に味わってから、この度の旅行に出発したいと思う。

それにしても、クリスマスカードとプレゼントをご用意くださり甚だ恐縮してしまった。
この方のもとに訪れる際は、もちろんいつも用事があって訪ねてゆくのだが、まず飲み物やお菓子などを出してくださり、お互いに近況を報告し合って談笑し、そしてようやく本題に入る。ひどいときには話し込んでしまい、打ち合わせ開始までに1時間以上かかることもある・・・
これがイタリア式習慣から来るもてなしなのか、あるいはこの方特有のねぎらい方なのかはわからないが、こうにして訪問客を待ち、もてなしてくれるというのは本当に嬉しいことだといつも感じさせられる。


到着すると別室へ通されたため、今日はここで打ち合わせをするかと思っていたのだが、クリスマスのオーナメント(プレゼピオ)を見せてくれるためだった。
広い部屋の一角に、イエス・キリストが生まれた馬小屋、幼な子キリスト、そしてマリアとヨゼフ、救い主の誕生の祝いにかけつけた羊飼いや動物たちが飾られていた。これもイタリアの家庭でのクリスマスの習慣なのだという。

どれも手のひらにすっぽりと収まってしまうぐらい小さなものなのだが、このミニチュアの生み出す空間がとてもかわいらしく、イエス・キリストの降誕を心待ちにし、また世に生まれ出たことを祝う気持ちが感じられる。


このような↑感じで飾られていた。
写真では寂しく感じるのだが、実際はもっとギュウギュウと詰まった印象で、羊飼いや動物がいままさに馬小屋に集まってきているような雰囲気がある。
聖フランシスコがはじめた習慣なのだそうで、ナポリでは年間を通して販売されているのだそうだ。

別の場所には、馬ぶねのイエス・キリスト、羊飼いたち、東方三博士(の一人。三人はまだ早いのだそうで1体ずつ増やして行くようだ)が飾られていた。

待降節最後の日である今日、プレゼピオを見せるために案内してもらい、もてなしてくださったことはとても嬉しかった。何よりも大きなプレゼントであるように感じた。

Friday, December 19, 2008

Mass schedule in Seoul (Korea)

台湾のサイトは意味がわからないとは言え漢字なのでまだ想像がつくが、韓国のサイトはハングルなのでちっともわからない。

ということで、韓国の方にお願いしてミサの時間を調べてもらった。
明洞大聖堂の新年ミサ(神の母聖マリア)は、12月31日の23時半から行われるとのこと。

早くもソウルの最低気温はマイナス5度だとか。
寒そー。

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今回の旅行では台北の後にソウルへ行くためやや忙しい。
ソウルへの滞在はクリスマス後~新年にかけての滞在となるため、教会に行くのは恐らく新年。
知人の司祭からは、下記の2つを勧められた。



外国人のためのソウルの教会のミサ時間
Mass Schedule for Foreigners

英語ミサ式次第

旅行先でミサに与ると微妙に戸惑うことがある。
海外で日本語ミサが挙げられることは少なく、たいていは英語ミサになってしまうが、6ヵ国語のミサの式次第は重いので今回は英語版=手作り式次第を持って行くことにした。
凝りはじめて両面中とじの小冊子をつくったのでここにもリンクを。

太字にしてある部分が会衆が唱える部分。
当初は一部省略していたが、ミサの流れ全てを掲載しました。
A6判なので持ち運びしやすいサイズです。どうぞご活用ください。


イギリスとアメリカで微妙に違っていたりして、何がスタンダードかを見極めるのが難しく、またエキュメニカルな式次第も検討されているらしい。
行く先々でOur Fatherが違ったりして(似てるけど)ピックアップに迷ったが、大筋は変わらないということで・・・

Thursday, December 18, 2008

Mass schedule & Catholic churches in Taipei

約1ヵ月前に台北のクリスマスのミサ時間を調べたが、出発を前に再度確認してみたところ、今年のクリスマス関連の行事一覧が公開されていた。

カテドラルにはぜひ行きたいが、ミサはどうやら中国語(台湾語?)だけっぽい・・・ 教会から当日の「聖書と典礼」をいただいて来たので、とりあえずこれを持ってカテドラルには行ってみようかな。
一応12/28、1/1の聖書と典礼も持って行こうと思っているところだ。

前回の渡台の際に天主教台北聖家堂の英語ミサを見つけたのは偶然であったが、やはり天主教台北聖家堂が台北市内では大きいようだ。東京で言うところのイグナチオ教会のような感じだろうか。

2008年12月24日~25日 主の降誕(天主教台北聖家堂)
月日ミサ時間場所言語
12/24聖誕子夜彌撒20:00大聖堂台湾?
影片欣賞—背叛與寬恕20:30二樓禮堂中国?
Christmas Midnight Mass22:00大聖堂英語
影片欣賞—背叛與寬恕22:00二樓禮堂中国?
12/25聖誕子時大禮彌撒0:00大聖堂台湾?
聖誕黎明彌撒8:30大聖堂台湾?
Christmas Mass During the Day9:45大聖堂英語
聖誕天明彌撒11:00大聖堂台湾?
聖誕彌撒 (青年)17:00大聖堂台湾?


英語ミサがある教会
聖堂名日時間
聖家堂(Holy Family Church)
降誕祭Wordファイル
日本語の説明サイト
ミサ時間(写真)
2422:00
259:45
St. John Bosco Parish2512:30
三芝天主堂(耶穌君王堂)
Christ the King Church
日18:00
聖家堂
Holy Family Church
新生南路二段50號
日9:45
日14:30
(J第2・4)
古亭耶穌聖心堂
Kuting Sacred Heart Church
辛亥路1段22號
日11:00
天母天主堂
Mother of God Church
中山北路7段171號
日10:30
12:15
19:00
聖母升天堂(Our Lady of Assumption Church)土19:30
中華聖母堂(Our Lady of China Church)日18:00
耶穌聖心堂(Sacred Heart Church)日11:00
淡水天主堂
Sanctuary of Our Lady of Fatima
日10:30
聖多福堂(スカラブリーニ宣教会)
St. Christopher's Church
中山北路三段51號
土17:00
日9:00
10:30
18:00
鮑思高天主堂(サレジオ会)
St. John Bosco Parish
民生東路3段
日10:30
聖若瑟堂(St. Joseph Church)日19:30
蘆洲天主堂(聖若瑟堂:St. Joseph's Church)日16:30
聖福若瑟堂(St. Joseph Freinademetz Church)日15:30
北投聖高隆邦堂(St. Columban's Church)日10:30

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台北行きに向けて、現地のカトリック教会について調べてみたのでここにまとめておく。
2006年11月に訪れた際には天主教台北聖家堂しかわからなかったが、今回調べてみたところ台北市内にも多くのカトリック教会があることが判明。聖家堂は偶然見つけたのだが、主日ミサの回数や言語の多様性から、かなり大きな教会であることがわかった。
前回は英語ミサに参加したが、月に二度、日本語でのミサも挙げられている。
さて、今回はクリスマスイブに台北入りする予定だが、台北着が夕方なのでミサに間に合うかどうかが気になった。現地の様子を調べてみると、昨年のクリスマスイブのミサ(子夜彌撒)は24日~25日にかけての深夜にも行われていたことがわかりホッとした。

2007年12月24日 主の降誕(天主教台北聖家堂)
ミサ時間司式言語
20:00-21:00中国語
22:00-23:00英語
24:00-01:00中国語

Wednesday, December 17, 2008

Fr.K


バチカンのクリスマスツリー(AFP BBニュースより)


ボリビアで宣教活動を続けている日本人司祭からクリスマスの手紙が届いた。
数年前に帰国された際のミサで、偶然侍者の奉仕を務めていたことから交流がはじまったが、その日が私の誕生日であることもありミサ中にお祝いをしていただいた。
後にも先にもこのようなことはあり得ないと嬉しく思っているが、それだけに印象も強く残っており、以来近況をご連絡くださるようになった。
今年は11月に列福式に参列するために通常よりも早く帰国されたそうで、来年2月まで滞在との長期の帰国になるが、次回のミサでも偶然侍者の奉仕をさせていただくことになった。

明るく元気なこの司祭はもう高齢だが、お目にかかるといつも励まされ、あたたかい気持ちにさせられる。
ご本人は「日本に帰ってくると冷蔵庫に入れられたような気がする」と物質的に豊かな国である日本社会の冷たさを憂いでいらっしゃるのだが、司祭の振るまいが底を抜けた明るさであるだけにその言葉に実感が込められているのを感じ、何もできない自分が非常に悔しく、また恥ずかしくもなる。

前回お目にかかってから今日までの間、日本のために、世界のために、私は何ができたのだろうか。次回言葉を交わすまでの間に何ができるのだろうか。

Saturday, December 6, 2008

銃と十字架

11月24日に行われた「ペトロ岐部と187殉教者列福式」開催にあたり、この日を前にカトリック関係者の間ではこの話題で持ちきりであったが、数人の司祭から、遠藤周作氏の著した『銃と十字架』という書物について聞いていた。
以前読んだ本にも、この『銃と十字架』は遠藤文学の真骨頂であるとも書かれており、特に今回の列福式では、この本に書かれたペトロ岐部神父が福者に祀られたこともあり、キリシタン史の話題の片隅にはいつもこの書籍が挙げられていた。

そして必ず、こう付け加えられていた。
「この本はとても良い本なのだが、絶版になっており今は全集の中でしか見られない」「図書館に行かないと目にすることができない」と。


私が中学・高校時代から好きだった作家の一人が遠藤周作である。
大半の作品を読んでいたのだが、全てを網羅していたわけではなかった。大半に入らなかったもの-それは江戸時代のキリシタン迫害について書かれた作品であって、何となくとっつきにくいという理由から、『沈黙』を除いた作品を意識的に避けていたような気がする。

個人的な会話の中でも多くの司祭から勧められたこともあり、今になって『銃と十字架』を読みたくて仕方がなかった。
しかし、古書店でもなかなか入手できず、見つかっても非常に高価。文庫本(中公文庫)でも3,000円。いっそのこと「銃と十字架」が含まれている全集の一冊を買ってしまおうか、それとも古書を探して入手しようかと迷っていた。
書店に並べられた文庫の背表紙には見覚えがあり、どうして買わなかったのか、どこで見たのだろうか、とあれこれ考えたが、私の部屋に並んだ文庫の中には、やはり見つけられなかった。
つい昨日もこの話を母にしたところであった。


さて、以前より大々的に部屋の片付けをしたいと思っていたが、ふと思い立って、手始めに書棚を片付けることにした。山積みになった書籍が収まりきらないため、不要な本はこの際思い切って処分してしまおうと考えており、まとまった単位の書籍のうち、程度の良いものはオークションに出品したりした。
同じ系統の書籍があるかどうか、書籍の山をかき分けながら書棚の前に立ち、スライド式の本棚を左右にひきながら、3層になった書棚の最後列を開くと、母から譲り受けた懐かしい古書が現れた。

「ここの棚は手をつけられないけれど、せめて整理して並べ替えよう」と考えているうちに、太い黒文字で書かれた、遠藤周作の『死海のほとり』に目が止まった。「これも恐らくキリスト教関連の内容だろう」と思い、開ききっていないスライドの前層を引いて閉めようとすると、死角になっていた片隅に、『銃と十字架』と書かれた単行本が身を潜めるように立っていた。

書棚

すぐさま手に取って母のもとにかけより、興奮しながらこの本のことを告げた。
恐らく今日、書棚の整理を思い立たなければ、しばらくの間は見つけることができなかったのではないかと思う。


背には白地に茶色の文字でタイトルが書かれていたが、他の書籍と比較するとコントラストが弱く、目立たずひっそりと書棚の端に入れられていただけに、偶然見つけた喜びは大きかった。
筺を覆うパラフィン紙をはずすと、新しい書籍のようなクリームがかった上品な肌が現れ、状態も非常に良かった。

昭和54年発行の初版で、版元は中央公論社。当時は880円で売られていた。
表紙には、ペトロ岐部が日本人信徒としてはじめて訪れたというエルサレムの町の挿絵が描かれている。



探し求めていた本を手にする時は、何とも言えない喜びと期待がある。
今晩からさっそく読み始めたいと思う。

Monday, December 1, 2008

Fr.M

ある宣教会の一人の司祭が帰天されたとの知らせがあった。
お目にかかったことはないのだが、優しそうな表情の写真を見たり、経歴を知ることから、一方的に親しみを覚えていた方である。

以前、こんな話を聞いた。
病を患ったM神父が医者の診察を拒否すると言って、困り果てたシスターが電話をかけてきたのだそうだ。電話を受けた方は、医者に診てもらうようにと説得の電話をかけなおしたが、本人は話したがらず、電話を切ってしまうのだという。
高齢のM神父は、医者の診断の結果によって入院や安静を強いられ、宣教の現場から身を引かなくてはならないことを知っていたのである。

「まだ迷惑をかけていませんから、大丈夫です。でも、迷惑がかかるようになったら(病気のために司祭職を勤められなくなるようになってしまったら)、私は入院させるか、母国に帰すか、決めなくてはなりません。彼の(宣教の場から離れたくないという)気持ちはよくわかります。だから、とてもかわいそうです。私も辛いです。」
電話をかけた、宣教会の管区長の言葉である。

晩年のM神父は、病院のチャプレンとして宣教を続けてきた。病人の見舞い患者との対話には、いつも心が尽くされていたのだそうだ。
亡くなったのはこの病院のホスピスだと言う。病室の中だとは言え、彼の宣教の場で最期の時間を過ごすことができたことは幸せだったのではないかと思う。

この宣教会の派遣の祈りを思い出した。
50年以上も前に日本の地を踏みしめて以来、宣教に命をかけていたM神父のために、私も祈りを捧げたいと思う。