Saturday, December 30, 2006

LUK 2:49


Disputa di Gesu coi dottori (1555-1556) by Paolo Veronese


NKJV
And He said to them, "Why did you seek Me? Did you not know that I must be about My Father's business?"

TEV
He answered them, "Why did you have to look for me? Didn't you know that I had to be in my Father's house?"

Sunday, November 19, 2006

Holy Family Catholic Church - 天主教台北聖家堂


天主教台北聖家堂(Holy Family Catholic Church)で主日ミサに与った。
ここの教会では月に二度、日本語によるミサも挙げられているそうだ。
大安駅から歩くこと約30分。地図の縮尺を誤ったため、思いの外時間がかかってしまったが無事に到着。この教会のある道は天国の道と呼ばれているのだそうで、近くにプロテスタント(おそらく)の教会もあったためにやや迷った。

想像以上に広い聖堂内には多くの人がつめかけ、ミサに与っていた。
雰囲気もとてもなごやかで、ミサ終了後に「今日はじめてこの教会にいらした方は立ち上がってください」というアナウンスがあり、私を含め幾人かが立ち上がったが、日本から来訪したとのことに皆驚いていた。それだけ日本にはカトリック信者が少ないということなのだろうか。フィリピンでのミサで歌った聖歌を耳にしてとても懐かしくなった。


聖堂前方は左右の翼に分かれているが、全て埋め尽くされていた。私が通う日本の教会の3倍近く収容できるのではないかと思う。
聖堂脇のステンドグラスも美しく、小ぎれいで新しい聖堂のような印象を受けた。


英語ミサに与ったためか、フィリピン人が多いような印象を受けた。
ミサ後にはマリア様やヨゼフ様の御像に向かって熱心に祈りを捧げていたのが印象的だった。


左右の翼にも現代的なステンドグラスが飾られており、虹色に照らされる堂内はとても美しい。




台北ではカトリック信者は少ないと聞いていたが、このミサのスケジュールを見て驚いた。

Saturday, November 18, 2006

From Tokyo to Taipei


台北へ。
8月のマニラとは対極的で、この度の台北旅行は散財の旅となりそう。
成田で友人と落ち合い、まずは回転寿司で腹ごしらえをして、いよいよ出発。

搭乗開始(この飛行機に乗ったわけではないが・・・)。

台北に到着後に立ち寄った空港のトイレ。
ここに・・・ 携帯電話を・・・ 忘れた・・・
無事に見つかったのでよいのだが、今回の旅行は忘れ物が多い。先が危ぶまれる。

空港から市内へはバスで移動。


バスを降りてホテルへ。
台北市内はバイク(スクーター)が多く、2人乗りは当たり前。多少の雨でもカッパで凌いでしまうというバイク文化のよう。


まずは実印をつくりにはんこ屋へ。思うようなはんこをオーダーし、腹ごしらえ(悲しいことにケンタッキー)。


慌てて食事を終えて、京劇を観にTAIPEI EYE(台北戯棚)へ。若い京劇学校の学生の出し物なのだが、フロントも学生(らしき若い人)が担当していた。
台北の青年は皆ニコニコとしていて感じがよく好感が持てる。


エレベーターで劇場階まで上がると、出演者が準備をしていた。
正直なところ「ここまで見せてしまうのか・・・」と驚いたが、こうした風景を間近で見る機会はなかなかないため、非常に興味深かった。


すでに衣装をまとった出演者が腰掛け、記念撮影に応じていた。
まだ10代半ばの男の子だと思うが、堂々としており、身のこなしや会話など、役に徹しているのに関心した。


いよいよ開演。
まずは日本で言うところの浄瑠璃・人形劇(布袋戯)がはじまった。遠目で見ても鮮やかで美しいが、人形の動きはまるで生きているようで、細かな所作や表情が読み取れるものだった。

人形が火とか吹いているのでかなり驚いた。
写真で見ると笑えるが実際は素晴らしく、伝統芸能の良さを堪能できたように思う。
会場には人形も飾られていたが、その精巧さ・美しさは言うまでもない。台北市内には林柳新記念偶戯(人形)博物館があるが、いつか訪れてみたいと思った。

京劇がはじまる前に最前列に移動。舞台に近すぎるが、ここにいると出演者の息づかいが聞こえてくる。

幕が開くをまずは練習風景の再演。にこやかにしているもののかなり苦しそうで、全員が相当なトレーニングを積んでいることがよくわかった。


いよいよ京劇がはじまった。冒頭の練習の様子でかなりの厳しさがあることが伝わってきたが、衣装をまとい舞台にたつと、その苦労は全く見えてこない。学生とは思えないプロ意識に感心させられた。
映画《覇王別姫》では京劇役者を巡る様々な悲劇が描かれていたが、そんなことをぼんやり思い出しながら鑑賞した。
主役の二人が覇王と姫のように思えた。





終演後、思わぬスコールのためにタクシーでホテルまで帰着。
車内にはなぜかカラオケセットが設置されており、運転手が日本の演歌(知らない曲だったが)を熱唱。かなり上手で驚いた。

Sunday, August 27, 2006

Prayer of Mother Teresa of Calcutta



The fruit of SILENCE is Prayer
The fruit of PRAYER is Faith
The fruit of FAITH is Love
The fruit of LOVE is Service
The fruit of SERVICE is Peace

Mother Teresa

Sunday, August 6, 2006

ネコを飼う



2匹目のネコを迎えた。
名前は “ジルダ”

Sunday, July 16, 2006

A soldier's prayer -グリフィンの祈り

昔いただいたカードに、ある祈りが書かれていた。
その祈りのカードは行方不明になってしまい、長い間探していたけれど、半ば諦めていた。
それからしばらくたった今日、偶然歌うことになった歌の歌詞を見て驚いた。
思わぬところで再会したような、懐かしい気持ちになった。

グリフィンという司祭が訳した日本語のこの祈りに、あるシスターがメロディーをつけたのだそうで、長崎で歌われていると聞いた(と長崎のカトリック信徒から教わった)。


-グリフィンの祈り(クレド-弱い者の信仰宣言)-


大きなことを成し遂げるために 力を与えて欲しいと神に求めたのに
謙虚を学ぶようにと 弱さを授かった

偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことをするようにと 病気をたまわった

幸せになろうと富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた

神の意にそわぬものであるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた
私は最も豊かに祝福されたのだ
(南北戦争で負傷したアメリカ兵が病院の壁に書きつけた祈り)


-Attributed to an unknown Confederate soldier-


I asked God for strength, that I might achieve.
I was made weak, that I might learn humbly to obey...

I asked for health, that I might do great things.
I was given infirmity, that I might do better things...

I asked for riches, that I might be happy.
I was given poverty, that I might be wise...

I asked for power, that I might have the praise of men.
I was given weakness, that I might feel the need of God...

I asked for all things, that I might enjoy life.
I was given life, that I might enjoy all things...

I got nothing I asked for - but everything I had hoped for;
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am, among men, most richly blessed!

Tuesday, July 11, 2006

掲載写真のご提供について

いつもご覧いただきましてありがとうございます。
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ご不便をおかけいたしまして申し訳ございません。

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  • アボカドの栽培 クローズ中。
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フォトログ(少量)
アーカイブ用ストックフォト(質より量)

Monday, July 3, 2006

ヨーロッパ芸術の源泉─ルネッサンス美術とグレゴリオ聖歌─


《クレーヴォレの聖母》ドゥッチョ/1280年頃/シエナ大聖堂博物館


現代美術も現代音楽も大好きなのだが、実は古典もかなり好き。
「ヨーロッパ芸術の源泉─ルネッサンス美術とグレゴリオ聖歌─」なる講演を聴きに専修大学に行った。

前半である「イタリア・ルネッサンス美術の起源と展開」は、名前だけ知っていた池上公平先生(若い)の講演で、ルネッサンス美術の、古代美術(ギリシャ、ローマ)やビザンチン美術等との関わりが解り、良い意味で作品の見方、捉え方を変えさせるような内容でとても充実していた。また、美術よりも先に、文学が古代に源泉を得ていたということを知り、非常に驚いた。

スライド内に登場したドゥッチョ作《クレーヴォレの聖母》(1280年頃 シエナ 大聖堂博物館:写真参照)がえらく気に入り、幼いイエスが、不謹慎ながら甘えた時のパールと重なり合ったりもして、ご絵にしようと思い立った程だった。
母マリアに抱かれた幼子イエスが、マリアのベールをそっと掴む様子が描かれており、その小さな手や視線に、“神の子イエス” ではなく、“人の子イエス” であるという人間らしさが感じられた。
理由はなく、ただただ可愛く感じられた。

ギベルティが言うには “つたない表現” なのだが、ドゥッチョ的には “ウルトラ・スーパー・リアリズム” だと自負していたのだそう。後に続くルネッサンスで写実、人間らしさを開花させることになったヒントが、13世紀のこの絵に見てとれるというのが美術史的な見解のようだ。なるほど、あながち間違っていなかった(とほっと胸を撫で下ろしてみた)。


前半で満足してしまった為、後半の「グレゴリオ聖歌─専修大学図書館所蔵写本を中心に─」では退屈してしまうのではないかと心配だったのだが、テレビ等でも見掛けたことがあった皆川達夫先生の話が始まると、そのユーモアの溢れた話術にみるみる引き込まれてしまい、中盤になると、15世紀のグレゴリオ聖歌の写本(楽譜、これが専修大学に所蔵された二つのうちの一つである)が読めるようにまでなっていた。
参加者全員で、写本のコピーを読みながら「キリエ(あわれみの賛歌)」が歌えた時は、何とも言えぬ喜びを感じた。
またこの「キリエ」は、偶然にも耳に馴染みのある旋律だっただけに感動も一入。聞いていただけの「キリエ」を口ずさむことができるようになったのは大きな収穫でもあった。

グレゴリオ聖歌を知るために必要不可欠なカトリック教会の典礼(ミサ)の説明も、非常にわかりやすかった。
いつもミサに与る際は、典礼の流れに沿って馴染みの歌を歌うだけだったのだが、これらの歌がどのように分類されているかをより詳しく知ることも出来た。

最後は皆川先生率いる中世音楽合唱団が、グレゴリオ聖歌はじめ、ルネッサンス宗教曲や世俗曲を披露してくれたが、この美しい旋律を耳にして、中世音楽の素晴らしさを実感したとともに、素直に感動した。

Saturday, July 1, 2006

カルティエ現代美術財団コレクション展


William Kentridge

評判も上々の質の高い現代美術に触れる以外に、どうしても見逃す訳には行かない作品が出展されていた為、本日最終日の「カルティエ現代美術財団コレクション展」を観に、東京都現代美術館へ行った。午後に予定があった為に駆け足での鑑賞となってしまったが、無理してでも行って良かったと満足した。



1997年夏は特別な年だった。四、五年に一度、ドイツ・カッセルで開催される現代美術の祭典「Documenta(ドクメンタ)」の記念すべき十回目である「Documenta X」、十年に一度開催される、町中を美術館にした様な「ミュンスター野外彫刻プロジェクト」(ドイツ・ミュンスター)、それに二年に一度開催される「ヴェネツィア・ビエンナーレ」(イタリア・ヴェネツィア)が同時に開催された記念すべき年だったのだ。
この年の「Documenta X」は開催前から “アジア・バッシング” として物議を醸していた。文字通りアジアの美術作家を排除した展覧会で、当時勢いを増していた韓国現代美術の作家も、台湾作家も、もちろん日本作家も、悉くバッシングした展覧会だったのである。初の女性キュレイターが登場したという点でも話題になっていた。

はるばる日本から訪れたものの、ドクメンタの作品の質は信じがたい程低く「つまらないし汚い」というのが素直な感想だった。
同時に開催されていたアンチ・ドクメンタの「Innensite(インネンザイテ)」の方が、小さい規模ながらずっと良かった。
このドクメンタで、唯一「素晴らしい」と感じられた作品が、ウィリアム・ケントリッジの、モノクロのデッサンにポイントとなる青色を使用した映像作品だった。



さて、前置きが長くなったが、このウィリアム・ケントリッジの作品が「カルティエ現代美術財団コレクション展」に出展されているというからには、見逃すことができない。
以前よりも表現が凝っている(アニメーションがスムーズな)ような印象を受けたが、矢張りとても気に入った。
何しろ駆け足で会場内を回った為、映像作品全てを鑑賞することは出来なかったのだが、ウィリアム・ケントリッジの作品と、あとは矢張りナン・ゴールディンも良かった。
久し振りに、もう一度ゆっくり観たいと思わせる展覧会で、誰かの感想を聞きたくなった。



私が中高生の頃、実にあちこちの美術館でよく出会った老爺がいた。真冬でも、洗い立ての、清潔そうな真っ白のランニングシャツを着て、カタログを手に周りの人たちに熱心に声を掛けている人だった。
中には疎ましく思う人もいた様だったが、私が聞く分には非常に良い目を持っていて、どんな作品に対しても決して貶す事が無いところも魅力の一つだった。キラキラと目を輝かせ、上品な顔立ちをした魅力的な人だった。
同じ展覧会に三度は行くのだそうで、一度目は印象、帰宅してカタログを読み、二度目は確認、そして三度目に作品の本当の良さを楽しむ、というのがその老爺の美術作品の愉しみ方なのだそうだ。
帰宅して「今日またランニングのお爺さんに会ったよ」と言うのが、美術展帰りの家族同士の会話にもなっていた。

最後に会ったのは、1993年のセゾン美術館での「アンゼルム・キーファー展」。それ以来、ぱったりと姿を見掛けなくなってしまった。
今日、東京都現代美術館で出会ったらどんな事を話していたのだろうかと、この老爺のことを懐かしく思い出した。

Sunday, June 11, 2006

派遣のときの祈り


《Two Candles》Gerhalt Richter/1982

8月のマニラ行きのための集まりで、司祭から資料を受け取った。その中のある宣教会のパンフレットに、こんな祈りが載っていた。
こんな思いで日本にまで来ているのか、とショックを受けた。


福音のためにもたらされる苦しみが
訪れる日は幸い。
しかし、もっと幸いなのは、
わたしが、福音のために喜びをもって
自らの存在を明け渡す時である。

Wednesday, April 26, 2006

エフゲニー・キーシン ピアノ・リサイタル 2006


エフゲニー・キーシン ピアノ・リサイタル 2006(サントリーホール)

Saturday, April 1, 2006

Sakura



ミサに与るために夕方家を出たが、いつになく大渋滞していた。皆、同じ目的をもって外出しているのだろう。
ここ数日の中で比較的暖かだった今日は土曜日。この辺りでは今年の桜がピークを迎えているのである。
今日の集まりにはさほど関心がなかったことも相俟って、気の向くまま桜を見物しに行くことにした。

近所の花見場へ到着すると、人・人・人。観光地で大勢の人の波にもまれるのは大嫌いなのだが、不思議と今日は多くの人たちとともに歩くことが楽しかった。
老若男女、それに犬。ここにいる人たちは、いままさに満開の桜が櫛比する川縁に、花を愛でる目的だけで集まってきていた。

昨年の桜はたらたらと長い間咲き続け桜らしからぬ様相を呈していたが(それはそれで桜好きの私にとっては嬉しい限りの現象だったが)、今年は短い時間で一気に咲きそろい、全ての木々枝々に見事な桜を花開かせていた。学生時代に上野公園で見た夜桜に匹敵するほどの美しさだった。
川面に写る雪のように白い桜の森に、提灯の灯かりがチラチラと瞬いていて、この情緒と、道行く人の明るい表情とに、懐かしい日本人らしさが感じられた。

寒空の下で見かけた多くの犬たちは皆、防寒のために重装備をして桜を眺めていたが、「パールも連れてきてあげたかった」と、ふて寝しながら留守番をしている我が愛しの飼いネコを何度も思い出した。


帰り道、別の花見場である寺に立ち寄り、名物のしだれ桜を見物した。美しくライトアップされたバロック風の幽玄なたたずまいは圧巻で、ソメイヨシノとは一味違う退廃的な美しさに思わず見とれてしまった。
ここの寺は愛猫の葬儀を行った寺でもある。一昨年の夏に訪れた際は、青々と茂った竹林を吹き抜ける爽やかな風に、「ネコたちの葬儀を快適な寺で執り行えてよかった」と感じたものだったが、見事なしだれ桜を目にして、今日もネコたちのことを思い出した。

堂内に上がり込み、釈迦の誕生(4月8日)を祝う甘茶まで飲んで暖をとり、満足しながら家路についたが、定例の集まりをサボッた甲斐があったと妙な充実感があった。

明日は雨が降るらしい。この時期の “時々雨” という予報には、毎年例外なく残念な思いがあるのだが、今年は桜が散る儚さを味わってみるのもいいように思った。