Saturday, July 1, 2006

カルティエ現代美術財団コレクション展


William Kentridge

評判も上々の質の高い現代美術に触れる以外に、どうしても見逃す訳には行かない作品が出展されていた為、本日最終日の「カルティエ現代美術財団コレクション展」を観に、東京都現代美術館へ行った。午後に予定があった為に駆け足での鑑賞となってしまったが、無理してでも行って良かったと満足した。



1997年夏は特別な年だった。四、五年に一度、ドイツ・カッセルで開催される現代美術の祭典「Documenta(ドクメンタ)」の記念すべき十回目である「Documenta X」、十年に一度開催される、町中を美術館にした様な「ミュンスター野外彫刻プロジェクト」(ドイツ・ミュンスター)、それに二年に一度開催される「ヴェネツィア・ビエンナーレ」(イタリア・ヴェネツィア)が同時に開催された記念すべき年だったのだ。
この年の「Documenta X」は開催前から “アジア・バッシング” として物議を醸していた。文字通りアジアの美術作家を排除した展覧会で、当時勢いを増していた韓国現代美術の作家も、台湾作家も、もちろん日本作家も、悉くバッシングした展覧会だったのである。初の女性キュレイターが登場したという点でも話題になっていた。

はるばる日本から訪れたものの、ドクメンタの作品の質は信じがたい程低く「つまらないし汚い」というのが素直な感想だった。
同時に開催されていたアンチ・ドクメンタの「Innensite(インネンザイテ)」の方が、小さい規模ながらずっと良かった。
このドクメンタで、唯一「素晴らしい」と感じられた作品が、ウィリアム・ケントリッジの、モノクロのデッサンにポイントとなる青色を使用した映像作品だった。



さて、前置きが長くなったが、このウィリアム・ケントリッジの作品が「カルティエ現代美術財団コレクション展」に出展されているというからには、見逃すことができない。
以前よりも表現が凝っている(アニメーションがスムーズな)ような印象を受けたが、矢張りとても気に入った。
何しろ駆け足で会場内を回った為、映像作品全てを鑑賞することは出来なかったのだが、ウィリアム・ケントリッジの作品と、あとは矢張りナン・ゴールディンも良かった。
久し振りに、もう一度ゆっくり観たいと思わせる展覧会で、誰かの感想を聞きたくなった。



私が中高生の頃、実にあちこちの美術館でよく出会った老爺がいた。真冬でも、洗い立ての、清潔そうな真っ白のランニングシャツを着て、カタログを手に周りの人たちに熱心に声を掛けている人だった。
中には疎ましく思う人もいた様だったが、私が聞く分には非常に良い目を持っていて、どんな作品に対しても決して貶す事が無いところも魅力の一つだった。キラキラと目を輝かせ、上品な顔立ちをした魅力的な人だった。
同じ展覧会に三度は行くのだそうで、一度目は印象、帰宅してカタログを読み、二度目は確認、そして三度目に作品の本当の良さを楽しむ、というのがその老爺の美術作品の愉しみ方なのだそうだ。
帰宅して「今日またランニングのお爺さんに会ったよ」と言うのが、美術展帰りの家族同士の会話にもなっていた。

最後に会ったのは、1993年のセゾン美術館での「アンゼルム・キーファー展」。それ以来、ぱったりと姿を見掛けなくなってしまった。
今日、東京都現代美術館で出会ったらどんな事を話していたのだろうかと、この老爺のことを懐かしく思い出した。

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