知人の老爺が怪我をしてから、もう半年近くになる。
持病の治療のために辛い思いをなされてきたが、今回の怪我も、持病のために悪化してしまっているのだそうだ。
この老爺とは頻繁にコミュニケーションをとっており、奉仕活動の仲間である。精神的に参ってしまっているために言動もエスカレートしており、周囲の人たちからは煙たがられているのが実際のところだ。本人にも自覚があるようで、考え方や行動が異常になってきていると言っているのだが、周囲にこれほどまで迷惑がられていることには、幸い気づいていないようである。
確かに頑固で融通が利かない面もあるし、以前とは少しずつ変化してきている。困ることもある。
しかし、この老爺をよく知っている私にとっては、老爺の悪い評判を聞くのが非常に辛い。周囲の評判には多くの誤解が含まれていることも私は知っている。
本人は死期を意識しはじめており、寝たきりにならぬよう何とか普通の生活をしたい、共に活動する時間は身体の痛みを忘れることができるし、何よりも励みになると言っている。活動から退くことは、私などでは想像もできないほどの危機的なことであるし、今は生き甲斐であるのだと思う。藁をつかむような心境で、この活動にすがっていたいというのが本音なのである。
奉仕活動から退くことは、老爺にとっては、すなわち死を迎える準備に入るようなものなのである。
いくら迷惑をかけられたとしても、できるだけ老爺に協力し、希望を持ってほしいと思う。
老爺の心境を理解する人は、ごく僅かであると思う。せめて私は、老爺のよき理解者でありたい。
老人の気持ちは、きっとその身にならないと理解できないものであり、私も年をとってからはじめてわかることなのだと思う。そして反省し、後悔するのではないかと思う。
マザー・テレサの祈りを思い出して、少しだけ老爺の気持ちがわかったような、そんな気がした。
年をとること
わたしのよろける足どり ふるえる手を わかってくれる人は さいわい。
人のことばを聞き取るのに 大きな努力が要るわたしの耳に
理解を持ってくれる人は さいわい。
わたしの目は うすくなっていて 行動ものろいということを
わかってくれる心のある人は さいわい。
わたしがコーヒーをこぼしても かわりない、平静な顔をしてくれる人は さいわい。
しばらく立ちどまって、ほほえみながら おしゃべりしてくれる人は さいわい。
「きょうはその話を二度聞きましたよ」と決して言わずに
わたしの言うことを 聞いてくれる人は さいわい。
楽しかった昔を取り戻せるように 助けてくれる人は さいわい。
わたしが独りぼっちでなく 愛されていることを
感じさせてくれる人は さいわい。
わたしには 十字架を担う力がないことを わかってくれる人は さいわい。
わたしの人生の最後の日々を 慰めてくれる人は さいわい。
(マザー・テレサの祈り)
Monday, November 17, 2008
Monday, November 10, 2008
San Giovanni in Laterano

11月9日は「ラテラン教会の献堂」の日で、献堂を祝うミサが行われた。
ラテラン教会、つまりSan Giovanni in Laterano(サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ)は、サン・ピエトロ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ教会、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ教会と並ぶローマの四大聖堂の一つであり、そのスケールもそこはかとない。
ローマ・カトリックの総本山であるバチカンのサン・ピエトロ大聖堂がカテドラル(司教座聖堂)だと思いこんでいたのだが、ローマのカテドラルはサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノなのだそうで、この日はローマ・カトリックの中心である教会=ラテラン教会の献堂を祝った。
昨年9月にローマを訪れた際、ようやく到着したサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノの聖堂に入ったところ、私が正面入り口だと思っていたところが回廊脇の出入り口であることがわかった。
祭壇のすぐ横から聖堂内を一望し、あまりの広さに呆然としたのを覚えている。
回廊両脇には巨大な12使徒像が並び、どれも素晴らしかった。
Saturday, October 18, 2008
Rosary
Tuesday, October 7, 2008
バチカンでの聖書朗読マラソン

バチカンにて、10月5日より7日間に亘り聖書朗読マラソンが開催されているのだそうだ。
トップバッターはローマ教皇・ベネディクト16世で、創世記を朗読されたとのこと。イタリアの著名人らがこの朗読に参加したのだというが、国を挙げてこのようなイベントの開催をするイタリアという国がうらやましくなった。
関連記事
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2525529/3400764
Saturday, September 27, 2008
Prayer of Mother Teresa

マザー・テレサの映画を撮影した千葉茂樹監督にお目にかかった。
マザー・テレサの映像は世界中でも4本しか残されていないが、そのうちの2本は日本で制作された千葉監督によるものである。
久しぶりにマザーのDVDを見直して、マザーハウスで修道生活を送る友人を思い出した。
Mary, mother of Jesus, give me your heart,
so beautiful, so pure, so immaculate,
so full of love and humility
that I may be able to receive Jesus
in the Bread of Life,
love Him as you loved Him,
serve Him in the distressing disguise of
the Poorest of the Poor.
(イエスの母であるマリアよ、あなたの心をわたしにください。
あなたの心は美しく、清く、汚れなく、
愛と謙遜に満ちています。
わたしもいのちのパンのなかにおられるイエスを
受けとることができますように。
あなたが愛したようにイエスを愛することができますように。
貧しいなかでももっとも貧しい人々の
心痛む姿のなかにおられるイエスに仕えることができますように。)

マザーの指を使った祈り。
一節一節に合わせながら右手の指を一本一本伸ばしていく。
beとholyは、それぞれ指を一本伸ばす。
次に、一語一語に合わせながら左手の指を伸ばしていく。
そして開いた両方の手を合わせて祈りなさいという。
「そうすれば、あなたたちも聖なるものとなれるでしょう」
I will, I want, with God's blessing, be holy.
You did it to me.
(神の祝福を受けて、わたしは聖なるものとなりたいのです。
あなたはそれをわたしにしたのである。)
わたしの兄弟であるもっとも小さな者の一人にしてくれたことはわたしにしてくれたことである。
(マタイ 25:40)

Jesus in my heart. I believe in Your tender love for me. I love You.
(わたしの心の中におられるイエスよ、あなたのやさしい愛を信じます。あなたを愛します。)
Wednesday, September 24, 2008
キリストの香り
ある講演会の告知のために原稿をいただいたたところ、以前から好きで、このブログにも書いた祈りが掲載されていた。
偶然にも今日、再び読むことができて、不思議な気分になった。
イエス様、
私がどこにいても、
あなたのかおりをはなつことができますように、
私を助けてください。
偶然にも今日、再び読むことができて、不思議な気分になった。
イエス様、
私がどこにいても、
あなたのかおりをはなつことができますように、
私を助けてください。
Friday, September 5, 2008
Words of Che Guevara (in Japanese)
もし我々が空想家のようだと言われるならば、
救いがたい理想主義者だと言われるならば、
出来もしないことを考えていると言われるならば、
何千回でも答えよう。
「そのとおりだ」と。
世界のどこかで不正によって苦しんでいる人がいるならば、
それを心から悲しむことができる人間になりなさい。
それが革命家にとって一番美しい素質なのだから
世界のどこかである不正が誰かに対して犯されたならば、
それがどんなものであれ、それを心の底から深く悲しむことの出来る人間になりなさい。
大切なのは行動であって、実行の伴わない言葉には何の意味もない
真の革命家は偉大なる愛によって導かれる。
人間への愛。
正義への愛。
真実への愛
愛のない革命家を想像することは不可能だ。
これからが見えなくなっても、今はここにある。
その今の中にいる自分を大切にしよう。
利己主義を終わらせよ。覇権主義を終焉せしめよ。
冷戦、無責任、そして欺瞞は、もう終わりにしようではありませんか。
我々ははるか以前になすべきであったことを行うには、明日では遅すぎるのあります。
これからは良いことをされたら100倍にして返せ!
その代わり嫌なこととをされたら100分の1にして返せ。
馬鹿に慣れ
とことん馬鹿になれ
恥をかけ
とことん恥をかけ
かいてかいて恥かいて
裸になったら見えてくる
本当の自分が見えてくる
本当の自分も笑ってた
それくらい
馬鹿になれ
あなたにとって私はなんだったのか。
私にとってあなたは全てであったけれど。
救いがたい理想主義者だと言われるならば、
出来もしないことを考えていると言われるならば、
何千回でも答えよう。
「そのとおりだ」と。
世界のどこかで不正によって苦しんでいる人がいるならば、
それを心から悲しむことができる人間になりなさい。
それが革命家にとって一番美しい素質なのだから
世界のどこかである不正が誰かに対して犯されたならば、
それがどんなものであれ、それを心の底から深く悲しむことの出来る人間になりなさい。
大切なのは行動であって、実行の伴わない言葉には何の意味もない
真の革命家は偉大なる愛によって導かれる。
人間への愛。
正義への愛。
真実への愛
愛のない革命家を想像することは不可能だ。
これからが見えなくなっても、今はここにある。
その今の中にいる自分を大切にしよう。
利己主義を終わらせよ。覇権主義を終焉せしめよ。
冷戦、無責任、そして欺瞞は、もう終わりにしようではありませんか。
我々ははるか以前になすべきであったことを行うには、明日では遅すぎるのあります。
これからは良いことをされたら100倍にして返せ!
その代わり嫌なこととをされたら100分の1にして返せ。
馬鹿に慣れ
とことん馬鹿になれ
恥をかけ
とことん恥をかけ
かいてかいて恥かいて
裸になったら見えてくる
本当の自分が見えてくる
本当の自分も笑ってた
それくらい
馬鹿になれ
あなたにとって私はなんだったのか。
私にとってあなたは全てであったけれど。

