インド大使館のエレベーター(4FのYoga Roomが気になる)
小学校~高校時代までの友人の数名が、仏像彫刻教室なるものに通っています。
このお教室の作品展があるというのでインド大使館に行ってきました。
こんな感じで展示されていました。
ここの仏像彫刻教室は、仏像好きで知らない人はいないという、かの有名な故・西村公朝先生(2003年没:愛宕念仏寺住職)が指導されており、師匠亡き後はお弟子さん主宰で現在も続けられているという由緒正しいものです。(あぁ、公朝先生に教わりたかった・・・)
会場に入るなり、大勢のジジババ軍団(もちろん記念写真撮ってたわよ♥)に少々気圧されてしまいましたが、技巧派あり、個性派ありで、なかなか楽しいものでした。
全員が完成作品を展示しているのではなく、継続して制作しているらしき途中過程の作品も目につきましたが、どの作品にも個性があって、友人の作品を、聞いていた裏話~桜の木で彫ってるから固くてなかなか進まないとか、仏像彫刻をはじめた理由やら何やら云々~を思い出しながら、一人でニマニマしながら鑑賞させていただきました。
インド大使館の看板
入場の際にいただいたパンフレットの各人のコメントを見ると、
「80歳を越え、この彫刻教室をはじめて15年になりました。
亡き妻の仏壇が寂しいので、小さな観音様を彫って
妻の話し相手になっていただいています。」
などと書かれており感動。
てっきり同年代の人たちの集まりかと思っていましたが、20代から80代という実に幅広い年齢層の集まりで、一つひとつの作品には各人各様の思い入れがあることがわかりました。
ふと「美術って、一体何なんだろう?」という思いが頭をかすめました。
美術史を遡ると、それぞれの時代の特徴を持ち、保存状態のよい作品が現代に残されて「名作」と呼ばれるようになり、美術館で大切に保管されています。国宝か重要文化財かの違いを決める一つの基準には「保存状態」も大きく関係しています。これは確かに大きな基準のひとつであるように思っています。
しかし、作品を観る側は、国宝だから重要文化財よりも優れている、という視点で判断してしまいがちで、人知れぬ佳作もたくさんあるのに、現代で「佳い」とされている作品は、「有名だから」「国宝だから」という理由が大きいように思えて、微妙なものを感じたりしていました。
例えばレオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》。美術解剖学の歴史という意味でも(あの当時、亡くなった方の身体を解剖するのはタブーだった)、技術的な意味でも、作品の背景的な意味でも、謎に満ちているという意味でも、《モナ・リザ》には様々な価値があり注目に価するものなのでしょうけれど、もちろん、すごい作品であることは理解しているつもりですが、わたしには「美しい」とか「好きだ」とは感じられません(モナ・リザ好きな方にはごめんなさい。決して悪い意味ではないです)。
レオナルドは悪い言い方をすれば、解剖マニアだった、技術オタクだった、超マザコンだった、超ホームシックだった、その他レオナルドの特徴を表している(結果的に、様々な意味でマニアックだったという事実)という意味で、《モナ・リザ》が重要視されるうちに、観る者は何だかとても美しいものを観たような錯覚に陥ってしまうように思います。
時々友人から「美術にはうとくてさ。《モナ・リザ》の良さがわからないから、自分にはやっぱり美的感覚がないのかな~」だなんて言われることもあるけれど、「それでいいじゃん。わたしも別に好きじゃないし」と答えてしまいます。
レオナルドの作品には本当に美しいと感じされられるものもあるけれど、単に好みや感じ方の違いで、《モナ・リザ》にはさほど愛着がないだけのことなのです。
現代では美術サークルのようなものも多数あり、専門家の視点からは決して優れているとは言えない「趣味」の一言で済まされてしまうものもたくさんあるかと思います。
今回の仏像彫刻展を観て、国宝級の仏像と比較して物を言う人もいるのかもしれないけれど、技術的に苦労している様子が彫り跡から感じられるものには、苦労しながらもその人が一生懸命に彫っている姿が想像できたし、先ほどの “亡き妻の傍らに小さな観音様を置きたかった” という作者の気持ちを知ることで作品の見方が変えられたし(少なくともわたしは)、レオナルドにせよ、80歳のおじいちゃんにせよ、「描きたい」「探りたい」「つくりたい」という気持ちが込められてさえいれば、どれも立派な「美術作品」になるんだなあ、と改めて思いました。
話は少し変わりますけれど、以前、仏師を目指して修行中だった人から聞いたところによると、仏師の修行って超大変&女性は当然仏師にはなれません。そのために彫刻科を卒業した後に文化財保存の勉強をするのをためらったりした過去がありますが(別にも理由はありましたが)、なんとなく仏像の世界には “女人は仏に触れるべからず” 的な意識がありました。しかし、この度の展覧会に出品されている作品の大半は女性によるもの。
仏像=仏師になる必要はなく、こうして好きで彫るのも良いものだなあと、先入観を覆させられました。
そしてもう一つ、仏像というと何となく彩色豊かなものをイメージしがちですが、ここでは彫りっぱなしの木肌丸出しの彫刻が多く、これもまた新鮮でした。
先入観から、仏像というと、ある程度を木で彫った上に、漆なり何なりで塗装(塗るというよりも、上に盛り上げた木屎漆で肉付けをする)というものを想像しておりましたが、色々な形の仏像彫刻があって良いんだな、というのが今回の展覧会を観ての感想です。
この仏像彫刻教室には、以前わたしも声をかけていただいたことがありましたが、仕事の関係もあってなかなか通うまでにはいたりませんでした。
でも今日の展覧会を見たら、大の仏像好きなので、わたしもすっかり仏像を彫りたくなっちゃった・・・
一応の道具は揃っているし、家のバルコニーに眠っている樟(クスノキ)があるのを思い出してしまいましたよ。
帰りに寄ったカフェ
展覧会場がインド大使館(とてもキレイな新しい建物でした)の地下という不思議なロケーションだったため、インドカレーを食べて帰ってまいりました。
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