Sunday, July 16, 2006

A soldier's prayer -グリフィンの祈り

昔いただいたカードに、ある祈りが書かれていた。
その祈りのカードは行方不明になってしまい、長い間探していたけれど、半ば諦めていた。
それからしばらくたった今日、偶然歌うことになった歌の歌詞を見て驚いた。
思わぬところで再会したような、懐かしい気持ちになった。

グリフィンという司祭が訳した日本語のこの祈りに、あるシスターがメロディーをつけたのだそうで、長崎で歌われていると聞いた(と長崎のカトリック信徒から教わった)。


-グリフィンの祈り(クレド-弱い者の信仰宣言)-


大きなことを成し遂げるために 力を与えて欲しいと神に求めたのに
謙虚を学ぶようにと 弱さを授かった

偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことをするようにと 病気をたまわった

幸せになろうと富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた

神の意にそわぬものであるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた
私は最も豊かに祝福されたのだ
(南北戦争で負傷したアメリカ兵が病院の壁に書きつけた祈り)


-Attributed to an unknown Confederate soldier-


I asked God for strength, that I might achieve.
I was made weak, that I might learn humbly to obey...

I asked for health, that I might do great things.
I was given infirmity, that I might do better things...

I asked for riches, that I might be happy.
I was given poverty, that I might be wise...

I asked for power, that I might have the praise of men.
I was given weakness, that I might feel the need of God...

I asked for all things, that I might enjoy life.
I was given life, that I might enjoy all things...

I got nothing I asked for - but everything I had hoped for;
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am, among men, most richly blessed!

Tuesday, July 11, 2006

掲載写真のご提供について

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Monday, July 3, 2006

ヨーロッパ芸術の源泉─ルネッサンス美術とグレゴリオ聖歌─


《クレーヴォレの聖母》ドゥッチョ/1280年頃/シエナ大聖堂博物館


現代美術も現代音楽も大好きなのだが、実は古典もかなり好き。
「ヨーロッパ芸術の源泉─ルネッサンス美術とグレゴリオ聖歌─」なる講演を聴きに専修大学に行った。

前半である「イタリア・ルネッサンス美術の起源と展開」は、名前だけ知っていた池上公平先生(若い)の講演で、ルネッサンス美術の、古代美術(ギリシャ、ローマ)やビザンチン美術等との関わりが解り、良い意味で作品の見方、捉え方を変えさせるような内容でとても充実していた。また、美術よりも先に、文学が古代に源泉を得ていたということを知り、非常に驚いた。

スライド内に登場したドゥッチョ作《クレーヴォレの聖母》(1280年頃 シエナ 大聖堂博物館:写真参照)がえらく気に入り、幼いイエスが、不謹慎ながら甘えた時のパールと重なり合ったりもして、ご絵にしようと思い立った程だった。
母マリアに抱かれた幼子イエスが、マリアのベールをそっと掴む様子が描かれており、その小さな手や視線に、“神の子イエス” ではなく、“人の子イエス” であるという人間らしさが感じられた。
理由はなく、ただただ可愛く感じられた。

ギベルティが言うには “つたない表現” なのだが、ドゥッチョ的には “ウルトラ・スーパー・リアリズム” だと自負していたのだそう。後に続くルネッサンスで写実、人間らしさを開花させることになったヒントが、13世紀のこの絵に見てとれるというのが美術史的な見解のようだ。なるほど、あながち間違っていなかった(とほっと胸を撫で下ろしてみた)。


前半で満足してしまった為、後半の「グレゴリオ聖歌─専修大学図書館所蔵写本を中心に─」では退屈してしまうのではないかと心配だったのだが、テレビ等でも見掛けたことがあった皆川達夫先生の話が始まると、そのユーモアの溢れた話術にみるみる引き込まれてしまい、中盤になると、15世紀のグレゴリオ聖歌の写本(楽譜、これが専修大学に所蔵された二つのうちの一つである)が読めるようにまでなっていた。
参加者全員で、写本のコピーを読みながら「キリエ(あわれみの賛歌)」が歌えた時は、何とも言えぬ喜びを感じた。
またこの「キリエ」は、偶然にも耳に馴染みのある旋律だっただけに感動も一入。聞いていただけの「キリエ」を口ずさむことができるようになったのは大きな収穫でもあった。

グレゴリオ聖歌を知るために必要不可欠なカトリック教会の典礼(ミサ)の説明も、非常にわかりやすかった。
いつもミサに与る際は、典礼の流れに沿って馴染みの歌を歌うだけだったのだが、これらの歌がどのように分類されているかをより詳しく知ることも出来た。

最後は皆川先生率いる中世音楽合唱団が、グレゴリオ聖歌はじめ、ルネッサンス宗教曲や世俗曲を披露してくれたが、この美しい旋律を耳にして、中世音楽の素晴らしさを実感したとともに、素直に感動した。

Saturday, July 1, 2006

カルティエ現代美術財団コレクション展


William Kentridge

評判も上々の質の高い現代美術に触れる以外に、どうしても見逃す訳には行かない作品が出展されていた為、本日最終日の「カルティエ現代美術財団コレクション展」を観に、東京都現代美術館へ行った。午後に予定があった為に駆け足での鑑賞となってしまったが、無理してでも行って良かったと満足した。



1997年夏は特別な年だった。四、五年に一度、ドイツ・カッセルで開催される現代美術の祭典「Documenta(ドクメンタ)」の記念すべき十回目である「Documenta X」、十年に一度開催される、町中を美術館にした様な「ミュンスター野外彫刻プロジェクト」(ドイツ・ミュンスター)、それに二年に一度開催される「ヴェネツィア・ビエンナーレ」(イタリア・ヴェネツィア)が同時に開催された記念すべき年だったのだ。
この年の「Documenta X」は開催前から “アジア・バッシング” として物議を醸していた。文字通りアジアの美術作家を排除した展覧会で、当時勢いを増していた韓国現代美術の作家も、台湾作家も、もちろん日本作家も、悉くバッシングした展覧会だったのである。初の女性キュレイターが登場したという点でも話題になっていた。

はるばる日本から訪れたものの、ドクメンタの作品の質は信じがたい程低く「つまらないし汚い」というのが素直な感想だった。
同時に開催されていたアンチ・ドクメンタの「Innensite(インネンザイテ)」の方が、小さい規模ながらずっと良かった。
このドクメンタで、唯一「素晴らしい」と感じられた作品が、ウィリアム・ケントリッジの、モノクロのデッサンにポイントとなる青色を使用した映像作品だった。



さて、前置きが長くなったが、このウィリアム・ケントリッジの作品が「カルティエ現代美術財団コレクション展」に出展されているというからには、見逃すことができない。
以前よりも表現が凝っている(アニメーションがスムーズな)ような印象を受けたが、矢張りとても気に入った。
何しろ駆け足で会場内を回った為、映像作品全てを鑑賞することは出来なかったのだが、ウィリアム・ケントリッジの作品と、あとは矢張りナン・ゴールディンも良かった。
久し振りに、もう一度ゆっくり観たいと思わせる展覧会で、誰かの感想を聞きたくなった。



私が中高生の頃、実にあちこちの美術館でよく出会った老爺がいた。真冬でも、洗い立ての、清潔そうな真っ白のランニングシャツを着て、カタログを手に周りの人たちに熱心に声を掛けている人だった。
中には疎ましく思う人もいた様だったが、私が聞く分には非常に良い目を持っていて、どんな作品に対しても決して貶す事が無いところも魅力の一つだった。キラキラと目を輝かせ、上品な顔立ちをした魅力的な人だった。
同じ展覧会に三度は行くのだそうで、一度目は印象、帰宅してカタログを読み、二度目は確認、そして三度目に作品の本当の良さを楽しむ、というのがその老爺の美術作品の愉しみ方なのだそうだ。
帰宅して「今日またランニングのお爺さんに会ったよ」と言うのが、美術展帰りの家族同士の会話にもなっていた。

最後に会ったのは、1993年のセゾン美術館での「アンゼルム・キーファー展」。それ以来、ぱったりと姿を見掛けなくなってしまった。
今日、東京都現代美術館で出会ったらどんな事を話していたのだろうかと、この老爺のことを懐かしく思い出した。