Monday, November 24, 2008

Petrus KIBE et 187 martyres



ペトロ岐部と187殉教者列福式
2008年11月24日(月・祝)12時より
長崎市ビッグNスタジアムにて開催



ミサは本来はその場に出向いて与るべきものなのかもしれないが、この度は残念ながら現地に赴くことができなかった。インターネットでのライブ中継が行われたため、遠く離れた地から時を同じくして列福を祝わせていただいた。
今日の長崎は雨。いかにも寒そうな、冷たそうな映像を見て、ぬくぬくと家で映像を見るにあたり恐縮してしまった。
映像でも雨が降っているのはわかったが、参列者の話によると午前中は土砂降りだったのだそうだ。



レインコートに身をまとった約3万人の会衆が開祭を心待ちにする中、入祭の歌「今日こそ神が造られた日」とともに司祭・司教団の行列が入団した。月曜日=司祭にとっての休暇に当たる日ということもあるのだろうか、各小教区から実に多くの司祭が会場に集結しており、それに司教団が続く様は圧巻で、日本国内のこれだけの司祭を一堂に目にする機会はもう二度とないのではないかとさえ思わせられた。
それと同時に、殉教という、当時で言うならば“少数派の政治犯”の死を称えるこの席において、3万人もの会衆・司祭・司教が集まったことには、彼らの信仰における死が実に大きな意味を持って現代に受け継がれているのが目に見えた。殉教者なくしては現在の信仰はあり得なかったことを実感した。
式典には諸宗教・政治関係者も列席し、カトリックではベトナム、フィリピン、韓国、台湾、インドなどからも司教が訪れ、殉教者の列福を祝ったという。



国内で初めて開催された列福式は、参加募集も三次にまで及び、各小教区では「列福式のために祈りを捧げる7週間」と銘打って、教会員が列福を記念した。各教区では記念のミサや、青年たちによって全国をつなぐロウソクリレーも行われていた。
昨晩は長崎市内の5つの教会でビジリア(前夜祭)も行われており、教会ごとに特色があったようだが、ニュースを見る限り、多くの人がこの度の列福を祝っていることを知った。



白柳誠一枢機卿の司式によって執り行われた列福式ミサには、前列聖省長官として今回の列福に貢献したホセ・サライバ・マルティンス枢機卿がローマ教皇・ベネディクト16世の代理として出席。岡田武夫大司教(東京大司教区・日本カトリック司教協議会会長)によって列福の願いが読み上げられ、マルティンス枢機卿が承認
前ローマ教皇・故ヨハネ・パウロ2世の来日をきっかけに列福の手続きがはじめられてから、実に27年の歳月の結実である今日、188人は福者として列せられた。

映像で見るだけでも雨の中を本当に寒かっただろうと思うが、列福の儀式を終えて188人が福者となると、不思議と天候も好転。殉教者の苦しみを寒さで味わい、列福とともに日差しが差し込むというのは、何だか象徴的な気がしてならなかった。
殉教者を描いた肖像画の序幕が行われたが、描かれた上品で凛々しい様はまさに殉教者の信仰そのもので、この度列福されるにふさわしいものに見えた。



もうひとつ、カトリックの特徴でもあり、最も大切な儀式であるのが聖体拝領である。
奉納では、子どもから青年までの数十人が、一人ひとりホスチアの入ったチボリウムを手にしている。祭壇上にずらりと並べられたチボリウムはかわいらしく、この中に3万人分の聖体がおさめられているのである。

参列した司祭団が会場内の各区画に赴き、聖体拝領を行うという形式であるが、チボリウムを手にした司祭が会衆に向かって散り散りに歩む姿は美しく、3万人という数の人たち一人ひとりに聖体を拝領する姿は、イエス・キリストが与えた最高の愛の形であるように見えた。
映像の中には顔見知り司祭も確認できたが、今年司祭に叙階し長崎の教会に赴任している司祭の姿には何とも言えない気持ちになった。



今日列福されたのは、国東半島(大分県)出身で、日本人で初めてエルサレムを巡礼したペトロ・カスイ岐部(1587~1639年)、天正遣欧少年使節の一人、ジュリアン中浦(1568?~1633年)、毛利輝元の家臣で萩城下(山口県萩市)で殉教した熊谷元直(?~1605年)ら188人である。司祭(4人)・修道士(1人)以外は一般信徒で、女性62人、8歳までの子ども22人も含んでいる。
詳細は下記の通り。

八代の殉教者11人(福岡教区)、萩・山口の殉教者2人(広島教区)、薩摩の殉教者・レオ税所七右衛門(鹿児島教区)、生月の殉教者3人(長崎教区)有馬の殉教者8人(長崎教区)、天草の殉教者・アダム荒川(福岡教区)、京都の殉教者52人(京都教区)、小倉・大分・熊本の殉教者(加賀山一族)18人(福岡・大分教区)、江戸の殉教者・ヨハネ原主水(東京教区)、広島の殉教者3人(広島教区)、島原・雲仙の殉教者29人(長崎教区)、米沢の殉教者53人(新潟教区)、長崎西坂の殉教者・ミカエル薬屋・ニコラオ福永ケイアン・ジュリアン中浦の3人(長崎教区)、大阪の殉教者・ディオゴ結城了雪(大阪教区)、西坂の殉教者・トマス金鍔次兵衛(長崎教区)、江戸の殉教者・ペトロ岐部(東京教区)。

東京教区ではペトロ岐部とヨハネ原主水の2人が列福されたが、教区発行の巡礼ガイドブックを読み、当時の凄惨極まりない制裁を詳しく知った。キリシタン時代に迫害された殉教者たちが、今日この日に福位を与えられることになるとは、誰が想像していただろうか。

閉祭の前に「列福の準備をするのに何も分からない私たちを支えてくださったことで、日本の教会が世界につながっていることを実感した」というあいさつがあったが、この言葉の通り、日本の殉教者の信仰の篤さが400年もの時間を経てバチカンに認められ、列福という形で昇華したことを心から嬉しく思い、感動した。



ミサの中で歌われた歌
  • 入祭
    司祭団に続き、司教団が入堂
    典:87番「今日こそ神が造られた日」
    典:174番「わたしたちは神の民」
    「うわさにさそわれ」土屋ハツエ作曲
    「殉教の血潮に」伏木幹夫作曲
  • 肖像画序幕
    カト・典:204番「アレルヤすべての国よ神をたたえ」
  • ミサ曲
    典:218番?221番
    「ミサ曲5」J・メルオー作曲
  • 答唱詩篇
    典:107番「主とともに」
  • アレルヤ唱
    典:276番 日本26聖人のもの
  • 奉納
    「さいわい」菊谷卓也作曲
    典:98番「しあわせな人」
  • 聖体拝領
    カト・典:325番「マラナタ」
    典:61番「神は残された不思議なわざの記念を」
    典:123番「主はわれらの牧者」
    カト・典:309番「キリストのいのち」
    カト・聖:246番「ひせきにこもりて」
  • 閉祭の歌
    典:367番「賛美の賛歌」2001年版
    「恵みの風に帆をあげて」前田智晶作曲
    「ペトロ岐部と187殉教者賛歌」新垣壬敏作曲
  • 式を終えて
    典:391番「ごらんよ空の鳥」
  • 典→典礼聖歌、カト・典→カトリック典礼聖歌集、カト・聖→カトリック聖歌


関連ニュース
余談だが、日本の一般的なニュースでは列福式について取り上げているものも、さほど詳しく報道しているものはなかった。海外のニュースの方が盛大に扱い、また誌面も充実しているという印象を受けた。
日本が非カトリック国であるという影響もあるのかもしれないが、海外のニュースの詳しさ、考察の鋭さが日本に無いのがやや残念である。


テレビ放映
12月28日 午後10時00分~11時30分 NHK ETV特集
「第254回 殉教者たちのメッセージ ~ペトロ岐部と187人の列福式~(仮)」

日本国内には2箇所のカトリック系神学校(教区司祭養成のための学校)が2箇所(福岡サン・スルピス大神学院、東京カトリック神学院)あるが、別々に運営されていたこの2校が統合されることになり、2009年4月より日本カトリック大神学院と生まれ変わる。東京・福岡で学んでいた神学生が学年ごとに東京と福岡に分かれることになった。
このNHK特集では、列福式に先立ち福岡サン・スルピス大神学院への取材を行い、取材に同行した画家・松井守男氏は彼らの澄んだ瞳に胸を打たれたのだそう。現在サン・スルピス大神学院にはこの画家からの手紙が掲示されているとのことだ。
どのような構成になっているか今から楽しみである。
友人のHの兄さんもここで学んでいるんだよなあ。

写真はネット上の各ニュースサイトから転載させていただいています。

Japanese 188 Blessed

Petrus Kibe and 187 martyrs in Japan

On November 24, 2008
in Nagasaki, at the Big-N Baseball Stadium, Fr. Peter Kibe and 187 other Japanese martyrs were beatified. They were killed between the years 1606 and 1639. The ceremony will be presided over by Cardinal José Saraiva Martins, as the envoy of Benedict XVI and prefect emeritus of the congregation for the causes of saints. There is great anticipation among Japanese Catholics, and about 30,000 people are expected to come to Nagasaki to participate in the beatification Mass.

The 188 martyrs cover only a brief period of the history of persecution in Japan. After the first promising beginnings of evangelization in the second half of the 1500's, in the 1600's the persecution of Christians began, to the point of prohibiting Christianity, driving out foreign missionaries, and implementing absolute persecution, among the cruelest ever seen. It was only in 1873, under Emperor Meiji, that the end of the persecution was decreed with an edict of tolerance. The story of the 188 Japanese martyrs is interwoven with that of the country, with its problems of domestic politics, the struggles among feudal lords and for the unification of Japan; with the relations, alliances, and betrayals with colonial powers. But it also clearly shows the attempt of political power to dominate completely the life of the population and of Christians, and the brilliance of the faith of these latter, who were killed even amid the admiration of their countrymen.

Among the 188 to be beatified, 4 are priests, one is a religious, and the majority - 183 - are laypeople: some nobles, some respected samurai, common people, farmers, and even adolescents and children. Of them, 60 are women, 33 were under the age of 20; 18 were children under the age of five. They include entire families who faced martyrdom together.

Monday, November 17, 2008

年をとること

知人の老爺が怪我をしてから、もう半年近くになる。
持病の治療のために辛い思いをなされてきたが、今回の怪我も、持病のために悪化してしまっているのだそうだ。

この老爺とは頻繁にコミュニケーションをとっており、奉仕活動の仲間である。精神的に参ってしまっているために言動もエスカレートしており、周囲の人たちからは煙たがられているのが実際のところだ。本人にも自覚があるようで、考え方や行動が異常になってきていると言っているのだが、周囲にこれほどまで迷惑がられていることには、幸い気づいていないようである。

確かに頑固で融通が利かない面もあるし、以前とは少しずつ変化してきている。困ることもある。
しかし、この老爺をよく知っている私にとっては、老爺の悪い評判を聞くのが非常に辛い。周囲の評判には多くの誤解が含まれていることも私は知っている。
本人は死期を意識しはじめており、寝たきりにならぬよう何とか普通の生活をしたい、共に活動する時間は身体の痛みを忘れることができるし、何よりも励みになると言っている。活動から退くことは、私などでは想像もできないほどの危機的なことであるし、今は生き甲斐であるのだと思う。藁をつかむような心境で、この活動にすがっていたいというのが本音なのである。

奉仕活動から退くことは、老爺にとっては、すなわち死を迎える準備に入るようなものなのである。
いくら迷惑をかけられたとしても、できるだけ老爺に協力し、希望を持ってほしいと思う。
老爺の心境を理解する人は、ごく僅かであると思う。せめて私は、老爺のよき理解者でありたい。

老人の気持ちは、きっとその身にならないと理解できないものであり、私も年をとってからはじめてわかることなのだと思う。そして反省し、後悔するのではないかと思う。
マザー・テレサの祈りを思い出して、少しだけ老爺の気持ちがわかったような、そんな気がした。


年をとること

わたしのよろける足どり ふるえる手を わかってくれる人は さいわい。
人のことばを聞き取るのに 大きな努力が要るわたしの耳に
理解を持ってくれる人は さいわい。
わたしの目は うすくなっていて 行動ものろいということを
わかってくれる心のある人は さいわい。
わたしがコーヒーをこぼしても かわりない、平静な顔をしてくれる人は さいわい。
しばらく立ちどまって、ほほえみながら おしゃべりしてくれる人は さいわい。
「きょうはその話を二度聞きましたよ」と決して言わずに
わたしの言うことを 聞いてくれる人は さいわい。
楽しかった昔を取り戻せるように 助けてくれる人は さいわい。
わたしが独りぼっちでなく 愛されていることを
感じさせてくれる人は さいわい。
わたしには 十字架を担う力がないことを わかってくれる人は さいわい。
わたしの人生の最後の日々を 慰めてくれる人は さいわい。

(マザー・テレサの祈り)

Monday, November 10, 2008

San Giovanni in Laterano



11月9日は「ラテラン教会の献堂」の日で、献堂を祝うミサが行われた。
ラテラン教会、つまりSan Giovanni in Laterano(サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ)は、サン・ピエトロ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ教会、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ教会と並ぶローマの四大聖堂の一つであり、そのスケールもそこはかとない。
ローマ・カトリックの総本山であるバチカンのサン・ピエトロ大聖堂がカテドラル(司教座聖堂)だと思いこんでいたのだが、ローマのカテドラルはサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノなのだそうで、この日はローマ・カトリックの中心である教会=ラテラン教会の献堂を祝った。

昨年9月にローマを訪れた際、ようやく到着したサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノの聖堂に入ったところ、私が正面入り口だと思っていたところが回廊脇の出入り口であることがわかった。
祭壇のすぐ横から聖堂内を一望し、あまりの広さに呆然としたのを覚えている。
回廊両脇には巨大な12使徒像が並び、どれも素晴らしかった。