Friday, August 29, 2008
舟越桂 夏の邸宅
東京都庭園美術館で開催されている「舟越桂 夏の邸宅」を観に行った。
2003年5月に東京都現代美術館で開催された「舟越桂展」以来、舟越氏の作品をまとまって観るのは実に5年ぶりであった。
会場である東京都庭園美術館はアール・デコ様式の旧朝香邸を美術館にしたもので、まさに「邸宅」で開催された展覧会である。季節が夏であるだけではなく、舟越氏の作品にただよう静謐でさわやかな雰囲気はまさにすがすがしい夏の心地よさを感じさせるもので、慢性的なヒートアイランド=東京において、まるで避暑地にでも訪れたような、涼やかな「夏の邸宅」を楽しませてくれる気持ちのよい展覧会であった。
庭園美術館と聞いただけで、氏の作品がよく合うであろうと想像していたが、会場内は想像を越えた美しい空間で、作品と会場の調和は実に素晴らしいものであった。
四角い「美術館」での展示とは異なり、庭園美術館のもつ有機的な空間が最大限に生かされ、美術館全体が美しいインスタレーションであると呼ぶこともできる。会場にはほのかに樟の香りが漂い、学生時代の懐かしいアトリエを思い出した。
人物をモチーフにした具象彫刻というと近代の塑像などを想像しがちであるが、現代において、徹底的な具象表現を見事なまでに成功させた氏は、かの舟越保武氏の次男である。
熱心なカトリック信徒としても知られる父・保武氏の作品は、最近では11月に列福式を控えている「ペトロ岐部と187殉教者」のパンフレットで、ペトロ岐部の彫刻を目にした。
晩年の保武氏は病気のために右半身が麻痺していたが、そのような状態でも、左手をつかって彫刻をつくり続けていた。不自由な手でつくられたイエス・キリストの頭部は、保武氏の特徴である優美で甘い雰囲気はなく、荒々しい表現ではあったが、それでもなお彫刻をつくろうという氏の思いや、イエスをつくろうとした気持ちの強さが感じられ、保武氏の篤い信仰心に心を打たれた。
このような父を持つ息子・桂氏は、二代目と言うと聞こえは悪いのかもしれないが、やはり父親あってこその作家なのではないかと思う。これはもちろん悪い意味ではなく、氏自身がベネチア・ビエンナーレやドクメンタなどの国際的美術展にも出展していることからも、一作家として世界に認められていることは読み取れると思う。
父親譲りの描写力に加え、氏自身の独自の表現(樟に彩色、大理石の玉眼という、仏像に見られる日本の伝統的な技法)をもって、現代彫刻の第一線で活躍する作家として躍り出た舟越桂氏は、今なお前進し続けている。
間の表現を追求する桂氏に対して、美術的な観点で論じられたものは豊富にあるのだが、桂氏のバックグラウンドにある宗教性についても聞いてみたいと思う。
木彫ではじめて制作された作品は「聖母マリア像」(1977年/函館・厳律シトー会 灯台の聖母大修道院)、次いで「聖母子像」(1979年/カトリック逗子教会)がつくられたが、いずれもカトリック団体に収められていることに、見えない何かを感じるし、大きな意味があるのではないだろうか。
魅力的なモデルを用いることでも知られる舟越氏は、著名人から無名の一般の人までを作品のモチーフとしているが、つくりだされた作品には有名・無名の序列はない。あくまでも一人の人間として捉え、さらに新しい意味合いをこめてつくられた作品は神々しく、まさにイエス・キリストが私たちに示した「愛」や「人間一人ひとりの偉大さ」を感じることができたように思う。
展覧会場に到着したとき、氏自身がカトリック教徒であることをすっかり忘れていたが、まるで聖堂に入ったときのようなすがすがしさや、思わず手を合わせたくなるような感情が「信仰」に似ていることから、ふと、「そういえば桂さんはカトリック信徒だったのだ」と思い出した。
ここ数年は両性具有のスフィンクス・シリーズがつくられているが、ここにも人間の多面性・多様性を垣間見ることができる。
多方面に取材した桂氏の作品はますます魅力的であり、また多くの人たちにメッセージを伝えるものであるが、氏にとっての祈りのかたちがスフィンクスとなって現れたように感じられる。
氏の作品にはいつも励まされ、また彫刻制作を再開したいという気持ちにさせられる。
舟越桂氏とは何度かお目にかかったことがあるが、会う度にあいさつをするタイミングを逸しており、いつかお話をしたいと思っている。
はじめてお会いしたのは私が大学生1年か2年の時、知人の誘いで桂氏のアトリエを訪問した時だった。
アトリエを引っ越されたと聞いているが、私が訪ねた頃は父・保武氏もご存命で、保武氏のご自宅の横にある、わずか6畳ほどの狭い離れだった。当時、もっと広いアトリエを探しているというお話をうかがった。
まるで小さなお城のようなそのアトリエに入ると、ところ狭しとデッサンやら写真やらメモやら、過去に制作された作品(その当時でもまだ手を加えていたというお話だったように記憶している)が置かれ、中央に作業台が置かれ、制作途中の頭部がゴロンとしていた。
ここからあんな作品が生まれるのだと、不思議な気持ちになったのをよく覚えている。
確かこれが二度目だったと思うが、学生時代のアルバイト先でお見かけした。
そしてその次にお会いしたのは、大学の「彫刻論」とかそんなような名前の講義の場に、ゲスト講師として来てくださった時だったと思う。
講義と言っても、聴講者は同じ学年の21名+先輩や助手陣で、言わば彫刻家の卵が先輩である彫刻家から話を聞く、というものだった。指導を受けていた先生が桂氏の友人にしてライバルの彫刻家であることから実現した企画だったように思う。
最後にお会いしたのは、2003年5月に東京都現代美術館で開催された「舟越桂展」の会場だった。この時は閉館間際にフラッと会場に来られた桂氏を見かけ、サインをしてもらい、少しの間お話をしたような気がする。
いずれの場合も個人的なことは何も話さず、今思い返すとアトリエにお邪魔したお礼や、彫刻論の講義のお礼を申し上げるのが筋なのだが、なんとなく遠慮して黙っていた。次回お話しする折りには、きちんとごあいさつしてお礼を伝えたいと思っている。