Saturday, July 26, 2008
Blessed Giovanni Mazucconi of PIME
『南海の殉教者 〜ウッドラークのマズッコーニ〜』という書籍をもらった。
タイトルの通りの内容で、1855年9月に僅か29歳という若さで殉教したヨハネ(ジョバンニ)・マズッコーニ神父の半生が記されているこの本は、私にとって大切な一冊となった。
もう20年以上前に出版された古びた本を差し出された際に、「重い(内容の)本だから無理しないで」と言われたが、この本を与えてくれた宣教師が所属する宣教会の、最初の殉教者にして1984年に列福された福者について書かれており、同宣教会誕生までの道程を知ることができた。
以前この宣教会のマニラ管区を訪れた際に、2人の司祭の写真を紹介された。慣れぬ英単語に耳を疑ったが、アメリカ人の司祭は確かに「ここ、マニラで殉教した司祭たち」と言っていた。
当時は「殉教」という言葉がピンと来ずに、宣教の過程で亡くなったという風に捉えていたが、アメリカ人司祭の重々しい口調から、殺害されたのだというニュアンスを汲み取ったように記憶している。
その後、同宣教会の歴史に触れた折に、150年以上もの歴史の中で殉教した宣教師たちが、実に18名にのぼることを知った。中には聖人や、この本に記された福者ヨハネ・マズッコーニ神父も含まれていた。
殉教者の名前、写真、殉教した日時、土地が正確に記されたリストを目にし、その中にマニラで見た写真が紛れていることに気づくと、殉教の重さ、尊さ、信仰の深さ、愛の大きさを感じた。
殉教とは、自らの信仰のために生命を失ったとみなされる死のことである。このように言ってしまえば、信仰のために生命を落とした者が皆、殉教者と呼ばれるかのように思える。事実、私もそのように解釈していたが、「殉教者となるのは種々の責め苦や死がそうさせるのではなく、何の理由で殺されたのかということが決定する」とのことで、カトリック信仰に対する憎しみのために殺害された場合にのみ、「殉教」と呼ばれるのだという。
この事実を知った今、マニラで見た殉教者の写真を目に浮かべ、また宣教会のリストに挙げられた18名を思うと、想像を遙かに超えた信仰の篤さ、神の愛の宣教者たちの真の姿を見たような気がした。
殉教には、宗教的迫害において生命を奪われた場合や、強制された棄教に反して死を選ぶ場合などがあるが、マズッコーニ神父の場合は前者であった。150年以上も前に起きた事実──友好的に見せかけて近寄り、隠し持っていた石おので頭を強打。頭蓋骨が割れ、地に身体が倒れこむまでの間には既に生命を落としていたという事実──が生々しく語られるこの本を通して、神の御心を信じ、どのような苦難であろうと甘んじて受け容れ、信仰のために喜んで死を選ぶ宣教師たちの心を、僅かではあるが理解できたように思う。
この本を与えてくれた宣教師は、以前、私にもわかるようにたとえ話を用いて「日本を去りたくない」気持ちを表現してくれたことがあった。普段はもの静かなその方の、いつになく力強い、感情的な言葉を通して、宣教を諦めるのがどれだけ辛いことなのか、どのような覚悟で日本という地に赴いているのかを改めて実感した。
殉教者のために生命を落とした宣教師たちや、またこの本を与えてくださった方が今後もずっと日本で宣教活動を続けられるよう、心からの祈りを捧げたいと思う。